「熊野神社」の御神紋の「八咫烏(やたがらす)」はサッカー日本代表のシンボルマークとなっており、「サッカー御守」も授かることができます。
やまちゃんねる商店では以下の品目を取り揃えて皆様をお待ちしています。★裁判傍聴記(裁判のリアルな様子をお届けします)★神社巡り・寺院巡り(あまり有名ではないけれど面白い神社仏閣を紹介します)★旅行記・街歩記(なんだここはと思えるところを巡ります)★道の駅巡り(各地の道の駅情報をお届けします)★資格チャレンジ(私の資格取得への道を紹介します)★ジィジ日記(街で見かけた名言格言や日々の生活で感じたことなどをお届けします)・・・今後も日々品目を見直してタイムリーに様々な情報発信に努めてまいりますので何卒御贔屓にお願い申しあげます。
2019年9月4日水曜日
京都の「熊野神社」には「サッカー御守」、聖護院は八つ橋発祥の地があります
京都市左京区聖護院山王町の「熊野神社」は、紀州熊野権現の御祭神を勧請しました。
「熊野神社」の御神紋の「八咫烏(やたがらす)」はサッカー日本代表のシンボルマークとなっており、「サッカー御守」も授かることができます。
「熊野神社」の御神紋の「八咫烏(やたがらす)」はサッカー日本代表のシンボルマークとなっており、「サッカー御守」も授かることができます。
2019年9月2日月曜日
「千本ゑんま堂」であの世の入口の裁判官の閻魔法王が引導を
京都市上京区千本通閻魔前町の「歓喜院引接寺(通称千本えんま堂)」は死者に引導を渡す「閻魔法王」を御本尊としてお祀りしています。
あの世の入口に建つとされる「千本えんま堂」は、見るからに地獄の入口のような殺伐観がただよっています。
あの世の入口に建つとされる「千本えんま堂」は、見るからに地獄の入口のような殺伐観がただよっています。
千本ゑんま堂入口 |
2019年9月1日日曜日
京都の老舗旅館の跡取り息子が大麻栽培して密売
被告人は京都の老舗旅館の跡取り息子でしたが、経営が傾いてきたプレッシャーによるストレス解消のために薬物を使用し始め、やがて大麻取り引きにまで手を染めるようになりました。
資料写真 |
2019年8月31日土曜日
もう二度と留置場に入りたくないので犯罪はしません
被告人は、家電量販店のシェーバー売り場で、店員の目を盗んで陳列棚の下の引き出しからシェーバー他2点を抜き取り、カバンに詰めて店を出ました。店を出る際に店員がビデオで撮っていることに気付いていましたが、そのまま車に乗り逃走しました。その後店からの110番通報を受け附近の道路で検問していた警察官に職務質問を受け、このとき窃盗に加えて車の車検切れも発覚して現行犯逮捕となりました。
2019年8月30日金曜日
「おかめの物語」や「大根炊き」で知られる「千本釈迦堂」
「千本釈迦堂」は、真言宗智山派の寺院で、冬の風物詩「大根炊き」は毎年暮れのテレビニュースの常連となっています。また、建物の上棟の際に大黒柱に飾られるお多福の面を付けた御幣は、本寺の本堂にまつわる「おかめの物語」が起源となっています。
「千本釈迦堂」は京の六花街の一つ「上七軒」のすぐそばにあります。
千本釈迦堂参道 |
2019年8月29日木曜日
京都「寺町通り」街歩き その2(丸太町通り~今出川通り)
京都市の「寺町通り」は、京都御苑(御所)の直ぐ東側を通る南北の通りで、南は五条通りから北は紫明通りまでの通りです。天正18年(1590年)の「豊臣秀吉」の都市計画によって、市内各地にあった寺院を移転させ通りの東側に配置させたことから「寺町通り」と称されることとなりました。今回は、京都御苑の東側に沿って丸太町通りから今出川通りまで歩きます。
京都御苑清和院御門 |
京都の本禅寺の本堂は全体を白漆喰で化粧して姫路城を思わせます
京都の法華宗陣門流総本山「本禅寺(ほんぜんじ)」は、京都市上京区の京都御苑の東の寺町通り沿いにあります。
本禅寺の鐘楼の梵鐘は、豊臣秀頼が片桐且元に命じて鋳造させ、大阪の生国魂(いくたま)大明神に献納したもので、徳川家康は「大坂冬の陣・夏の陣」の両戦で「陣鐘」(じんがね)として使用しましたが、後に大久保彦左衛門によって本禅寺に納められたものです。
本禅寺の鐘楼の梵鐘は、豊臣秀頼が片桐且元に命じて鋳造させ、大阪の生国魂(いくたま)大明神に献納したもので、徳川家康は「大坂冬の陣・夏の陣」の両戦で「陣鐘」(じんがね)として使用しましたが、後に大久保彦左衛門によって本禅寺に納められたものです。
本禅寺鐘楼
京都の清浄華院は慈覚大師が禁裏内道場として開いたのが始まりです
京都御所の東側、寺町通り沿いに「清浄華院(しょうじょうけいん)」はありました。清浄華院という名前は、「浄土に咲く蓮の華のように、清らかな修行ができる場所」という願いを込めて名付けられました。
清浄華院 総門
京都の蘆山寺には世界的な女流作家「紫式部」の邸宅跡がありました
京都の「蘆山寺(ろざんじ)」は京都市上京区京都御所東の寺町通り沿いにあります。
「蘆山寺」は「紫式部」が「源氏物語」などの世界的名作を執筆した地として知られています。また蘆山寺は「おみくじの創始者」として知られる「元三大師(慈恵大師良源)」によって草創されたことで知られています。
「蘆山寺」は「紫式部」が「源氏物語」などの世界的名作を執筆した地として知られています。また蘆山寺は「おみくじの創始者」として知られる「元三大師(慈恵大師良源)」によって草創されたことで知られています。
蘆山寺
京都の梨木神社は明治新政府の中枢となった三條実美が御祭神です
「梨木神社」の御祭神は、父の三條実萬(さんじょうさねつむ)と子の三條実美(さんじょうさねとみ)です。三條実美は公家の側からの明治維新を推進し、明治新政府では、政府の最高機関の「正院」の長官の太政大臣として明治新政府を牽引しました。
三條実美は、2018年のNHKの大河ドラマ「西郷どん」では、ドラマ終盤の大政奉還のあたりから明治新政府の中枢として登場していましたが、ドラマでは少し頼りない感じで表現されていました。
梨木神社は、一之鳥居と二之鳥居の間に民間のマンションが建っています。
三條実美は、2018年のNHKの大河ドラマ「西郷どん」では、ドラマ終盤の大政奉還のあたりから明治新政府の中枢として登場していましたが、ドラマでは少し頼りない感じで表現されていました。
梨木神社は、一之鳥居と二之鳥居の間に民間のマンションが建っています。
梨木神社 一の鳥居
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