2019年7月25日木曜日

【裁判傍聴記】会社ぐるみで通信教育の教材費を詐欺

被告人4名は、全国的に通信教育歴のある者を探し出し、多数の被害者に「あなたの通信教育が完了していないので、このままでは莫大な解約料が必要ですが、教材費用さえ支払えば解約料は免除になりますよ」などと言葉たくみに、更に会社ぐるみで人を変えて複数回電話をして、教材費をだまし取りました。
今回は聞き慣れない罪名「組織的犯罪処罰法違反」が適用されました。
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2019年7月24日水曜日

京都の【祇園祭後祭】の宵山に行ってきました

「日本の三大祭」のひとつ、京都の【祇園祭】は7月17日の「前祭(さきのまつり)」の山鉾巡幸で華やかで豪華蓮蘭な祭の幕を閉じたと思われている方が多いのでしょうが、ところがどっこい山鉾の数は少ないですが「後祭(あとのまつり)」もございます。「後祭」「鉾建(ほこたて)」から「宵々山(よいよいやま)」「宵山(よいやま)」と続き7月24日には華やかに「山鉾巡行(やまほこじゅんこう)」が行われます。

祇園祭後祭2019山鉾巡幸一番の橋弁慶山

2019年7月23日火曜日

【裁判傍聴記】夫のDVのストレスから酒を飲んで運転してしまいました

被告人はあてもなく車を運転しながら、コンビニで買った缶酎ハイを飲みました。被告人は更に飲み足りなく別のコンビニに立ち寄り、缶酎ハイを買い足し、なおも飲みながら運転し、差し掛かった交差点で対向車両に正面衝突して、相手方運転手に頸椎捻挫の傷を負わせました。

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2019年7月22日月曜日

「いわゆる高齢ドライバー」による事故について

最近テレビのニュース番組やワイドショー番組で、いわゆる「高齢ドライバー」による事故の報道が続いています。これまでも高齢ドライバーによる交通事故は多かったのでしょうが、東京の池袋での87歳の高齢ドライバーによる「過失運転致死傷」事件の報道がひとつのきっかけとなって、いわゆる「高齢ドライバー」による事故がクローズアップされてきたので目立つことになったのでしょう。

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2019年7月21日日曜日

「一休和尚」が修行し、悟りを開いた大津市堅田の「祥瑞寺」

かつてアニメ「一休さん」で一躍人気を博した「一休和尚」は、後小松天皇の子として生まれましたが、数奇な運命から京都の禅寺に預けられ、やがて「宗純」という戒名を授けられました。
「宗純」は22歳の時、禅の道を究めようと禅の高僧「華叟宗雲」の教えを乞うため大津市堅田にある「祥瑞寺」の門を叩き、その後13年間修業の日々に明け暮れました。

祥瑞寺

2019年7月19日金曜日

【鉄道記念物】指定 旧東海道線「旧逢坂山ずい道東口」 

国道1号線を京都から大津へ国道1号線で進み、旧東海道の「逢坂の関」を過ぎてすぐに大津市街から大津港へ向かう道が分岐します。この分岐道へ入ってすぐの左側に「鉄道記念物 旧逢坂山ずい道東口」があります。「旧逢坂山ずい道」は京都から大津へ抜ける旧東海道線を開通させるため逢坂山を掘削した、日本人の技術者と職人が主体となって設計・施工を行った我が国初の山岳隧道です。

逢坂山隧道東口
    

2019年7月17日水曜日

恋に生きた平安中期の女流歌人「和泉式部」は「誠心院」で静かに往生しました

「誠心院」は観光客で賑わう、京都の新京極通りに面して建っています。
平安中期の女流歌人「和泉式部」は、娘に先立たれた悲しみから世の無常を憂い、京都の「誓願寺」で六字名号を唱えて女人往生を悟り、「誠心院」の初代住職となって「南無阿弥陀仏」を唱えながら浄土へと静かに往生しました。

誠心院本堂

2019年7月16日火曜日

京都市南区久世の「光福寺」は京の都の裏鬼門の守り神

「光福寺」は京都市南区久世上久世町の久世橋の西側にあって、平安京の古より京の都の西南の地にあたる裏鬼門を鎮護してきました。
「光福寺」は、鳥居があり、山門があり、拝殿があるという「神仏混交」の名残りを残すお寺です。


2019年7月12日金曜日

「敵は本能寺にあり」京都の本能寺には織田信長の廟があります

京都の法華宗本門流大本山本能寺」は、京都の寺町御池の角にあります。
「本能寺の変」は、本能寺にいた織田信長を明智光秀から襲撃され、自ら火を放ち自害した事件です。このときの本能寺は現在の位置ではなく、京都の四条西洞院にありました。

本能寺山門

2019年7月11日木曜日

京都三条大橋たもとの「瑞泉寺」は関白豊臣秀次公一族の悲劇の舞台

東海道五十三次の終点、京都三条大橋のたもとにひっそりと佇む「瑞泉寺」の山門に「斬到確境」の扁額が掲げられています。これは「漸く(ようやく)確かな悟りの境地に到った人々の霊位が眠る」という意味です。
「瑞泉寺」は秀吉から謀反の疑いで切腹させられた二代目関白「豊臣秀次」と、秀次一族根絶のために三条河原で公開処刑された秀次の妻や子供、妾など39名、ならびに賜死した家臣10名の霊を弔うため建立されました。

山門の扁額