2020年7月28日火曜日

「道の駅 藤樹の里あどがわ」は高島の名産品と特産品、農産品、伝統工芸品が凝縮された道の駅です

滋賀県高島市安曇川町の「道の駅 藤樹の里あどがわ」は、国道161号線沿いの関西地方と北陸地方を結ぶ交通の要衝の地に店を構えているという好立地と、地域の名産品と特産品の販売に力を入れている点もあって、2014年には年間利用者数が約88万人あったということで、滋賀県下の道の駅でNo.1になりました。鯖寿司やへしこ、鮎の佃煮などの地場ならではの味の特産品は、北陸方面からの旅行や仕事帰りの人たちのお土産として人気を集めています。

道の駅 藤樹の里あどがわ

2020年7月27日月曜日

京都市南区吉祥院の「吉祥院天満宮」は数ある天満宮のうち日本最古に創建された天満宮です

学問の神様「菅原道真公」をご祭神としてお祀りする天満宮は、全国に約1万2千社あると云われていますが、「吉祥院天満宮」はその中で最も古くに創建された天満宮です。「吉祥院天満宮」が鎮座しているこの地は、京都の中心からは少し外れた住宅街の中の、あまり目立たない位置にありますが、ここは平安京遷都の際に桓武天皇に随行してきた道真公の曽祖父が、領地を与えられて邸を構え、後に道真公が生まれ育ったという由緒ある地です。

金のなで牛・くぐり牛

2020年7月20日月曜日

「本多神社」の祭神は膳所藩主の本多家四柱、境内の稲荷山古墳の石室には子授地蔵が安置されています

滋賀県大津市御殿浜の「本多神社」には、膳所藩で最も長く藩主を勤めた本多家の累代四柱が御祭神として祀られています。本殿は旧膳所城の瓦ヶ浜御殿の跡に鎮座し、境内は紫陽花の花が咲き乱れていました。また境内には2基の円形古墳が現存し、その内の一基稲荷山古墳の石室には、鎌倉時代に造られた「子授地蔵」が安置され、山上には「広鶴稲荷」が鎮座しています。境内近くには、幕末の動乱に散った尊王攘夷派の膳所藩十一烈士を祀る「丹保之宮」があります。

本多神社境内古墳の紫陽花の花

2020年7月18日土曜日

【裁判傍聴記】奥さん、被告人を監督するうえで覚醒剤は再犯するということを知っておいて下さい

被告人は、平成17年に覚醒剤所持で執行猶予付きの有罪判決を受けました。その後は覚醒剤には手を出していなかったのですが、3年前に仕事の関係で知り合ったAから、仕事の手伝いにと元暴力団員のBを紹介されました。そしてBと一緒に行った現場仕事の帰りの車の中で、親しくなったBが実は覚醒剤の売人をしていることを知り、Bからすすめられるままに、またもや覚醒剤に手を出してしまいました。その後は芋づる式に次々とBから覚醒剤を購入し、令和2年2月コンビニの駐車場で覚醒剤を入手したことが発覚し逮捕されました。

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資料画像(by Wikipedia)

2020年7月14日火曜日

【麒麟がくる】「明智左馬之助湖水渡碑」は大津市打出浜のなぎさ通り沿いにひっそりと立っています

名神高速道路を大津ICで降りて琵琶湖に向かって走ると、突き当たったところに「明智左馬之助湖水渡碑」と刻まれた石標が立っています。本能寺の変で「織田信長」を討った「明智光秀」は、直後の「山崎の合戦」で「豊臣秀吉」に敗れ、坂本城への敗走中に命を落としました。この知らせを安土城で聞いた「光秀」の重臣「明智左馬之助(秀満)」は、坂本城を目指し出陣しましたが、大津のこの地に来て「秀吉」の軍勢に行く手を阻まれました。「左馬之助」は大胆にも馬に騎乗したまま琵琶湖の乗り入れ、琵琶湖を渡って坂本城に向かいました。この地は「左馬之助」の湖水渡りの伝説の地です。

明智左馬之助湖水渡碑

2020年7月12日日曜日

【裁判傍聴記】無免許でも仕事の道具を運ぶのに車が要りますし、昼の弁当食べるのにも車がほしいので・・・

被告人は、未だかつて車の運転免許を取ったことがありません。車の運転は他人が運転するのを見て、みようみまねで覚えました。とある日の朝、被告人は自宅で酒を飲んだ後、車のオイル交換をしようと家を出て運転していました。途中でパチンコをしようと思いたち、進路を変えたとたんに民家の壁に衝突しました。被告人はその場から逃げてコンビニに入りましたが、駐車場でまたも他人の車に衝突させ、被害者の通報で駆け付けた警察官に、「酒気帯び運転」「無免許運転」の容疑で現行犯逮捕されました。

運転免許証 - Wikipedia
資料画像(by Wikipedia)

2020年7月10日金曜日

滋賀県大津市中庄の「篠津神社」は江戸時代には「膳所藩」の歴代藩主の崇敬が長く続きました

滋賀県大津市中庄の住宅街の中に「篠津神社」は鎮座しています。古くには「大梵天王」と号して、「天王社」または「天王宮」と呼ばれ「産土神」として庶民の信仰を集めていました。江戸時代に入ると、「徳川家康」の指示で設立された「膳所藩」の歴代藩主の崇敬は篤く、特に最も長く13代220年にわたって藩主を務めた本多家は、社領の寄進や本殿の造営、社殿の改修も行うなど、「篠津神社」は手厚く護られてきました。

篠津神社 本殿

2020年7月9日木曜日

【裁判傍聴記】包丁を持っていることを言えば刑務所に入れてもらえると思い自首しました

被告人は、以前刑務所から出所した際に世話になった知人に会うため、連絡もせずに滋賀に来ました。JRの最寄りの駅で降りて知人を探しているうちに、電車内で飲んだ酒がきいたのか気分が悪くなり、自ら119番通報しました。救急車で病院に搬送され入院した翌朝、警備員に「自分は包丁を持っている。」と自首して110番通報するよう頼み、駆け付けた警官に「銃刀法違反」の容疑で現行犯逮捕されました。被告人は、刑務所に入りたくなって自首したと供述しています。

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資料画像(by Pixabay)

2020年7月6日月曜日

「膳所城」は東海道・中山道・北国道の三街道と琵琶湖の湖上交通を制するため、徳川家康の命で築城されました

滋賀県大津市膳所地先の琵琶湖にせり出した埼に「膳所城」は築かれていました。「膳所城」は、徳川家康が関ヶ原の合戦で勝利した直後に、京の背後の守りと、未だ豊臣秀頼が居城する大阪城への備えの城として、藤堂高虎に設計させ、譜代大名に命じて築城工事を施工させました。城主兼膳所藩藩主には、江戸幕府がサラリーマン大名を任命し、当時の交通の重要拠点であった大津を通過する三街道と、琵琶湖の湖上交通の警護にあたらせました。

ファイル:伊勢さんぐうめいしょずえ.pngのZeze城前の船
膳所城と琵琶湖の渡し舟(by Wikimedia Commons)

2020年7月3日金曜日

滋賀県大津市の「西武大津店」が44年の歴史に幕を閉じて令和2年8月31日に閉店します

「西武大津店」は、滋賀県大津市におの浜のびわこ大博覧会跡地に建てられて、昭和51年6月オープンし、多くの「西武大津ファン」に支えられながら、44年間営業を続けてきましたが、残念ながら令和2年(2020年)8月31日をもって、多くのファンに惜しまれつつ閉店することになりました。現在(7月2日付)「サンクスセール」と写真展「西武大津店44年のあゆみ展」を開催中ですので、足を運んでみてはいかがでしょうか。

西武大津サンクスセール