2020年10月8日木曜日

【裁判傍聴記】家庭裁判所の離婚裁判の判決は原告側の夫の逆転敗訴でした

 家庭裁判所で離婚訴訟の判決言い渡しを傍聴しました。この訴訟の原告は夫で、被告は妻でしたが、被告である妻側から反訴請求として離婚請求と損害賠償請求が提訴されていたものです。判決当日は、原告、被告側ともに当事者も代理人も出廷しませんでしたが、当事者・代理人不在でも裁判長は判決を言い渡します。結果、被告側の妻の逆転勝訴でした。原告である夫は完敗でした。

資料画像(by pixabay)

2020年8月25日火曜日

「里の駅大原」には地元大原や近郊の農家で採れた旬の新鮮野菜と杵つきのお餅などが並んでいます

大原は、京都市の北東部にあって「三千院」「寂光院」などの有名なお寺もあり、全国的に有名な観光地ですが、それだけでなく山里の景色も、春の桜から初夏の青もみじ、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々様々な景色を楽しむことができる山里です。「里の駅大原」は、大原の里や近郊農家で採れた旬の新鮮野菜や京野菜が並べられ、京都の有名レストランのシェフや、隣接する滋賀県からのお客さんが絶えず訪れ、また大阪や神戸方面からもわざわざ買い求めに来ています。駅構内で作られている杵つき餅もよもぎ餅やしそ餅もあり、人気商品となっています。

里の駅 大原

2020年8月9日日曜日

日本初の水力発電所「蹴上発電所」を建設し、京都に日本初の市街電車を走らせた「高木文平」の生家跡を訪ねました

「高木文平」は、京都電気鉄道を設立し初代社長を務め、京都市内に日本初の市街電気鉄道を走らせました。文平の偉業はこれだけでなく、琵琶湖疎水の工事には当初から関係し、田辺朔郎とともにアメリカに渡って水力発電技術を持ち帰り、日本で初めての水力発電所「蹴上発電所」の建設にも尽力して、発電した電力を電気鉄道の動力源とするなど日本の近代化に大きな礎を残しました。その後も宇治川発電所の建設にも尽力して「電気王」と称されました。

高木文平生家前に立つ頌徳碑

2020年8月6日木曜日

京都寺町今出川上ルの「阿弥陀寺」には本能寺の変で散った織田信長父子と森蘭丸等家臣の本廟があります

「阿弥陀寺」の開基「清玉上人」は、幼少の頃に母を亡くし尾張の織田家に育てられました。仏門に入った清玉上人は、やがて近江国坂本で阿弥陀寺を開基しました。その後、清玉上人は「織田信長」の帰依もあって、京都の今出川大宮付近に阿弥陀寺を移転しました。織田家と信長に対し、幼少以来の恩義を感じていた清玉上人は、本能寺の変の一報を聞くやいなや、すぐさま本能寺に駆け付け、信長父子と家臣達の亡骸を隠して持ち帰り、阿弥陀寺の墓所に葬って手厚く弔いをしたということです。その後、豊臣秀吉の京都の都市計画で阿弥陀寺を当地に移転した際にも、信長父子と家臣達の廟を大切に移転して、現在まで手厚く供養しています。

総門前の「織田信長公本廟」の石標

2020年8月3日月曜日

【滋賀県高島市の大溝城遺跡】 大溝城は織田信長の甥の信澄が明智光秀の縄張(設計)で築城しました

滋賀県高島市の高島病院の駐車場の離れに「大溝城跡」があります。「大溝城」は現在では天守跡の石垣が残るのみです。織田信長は、琵琶湖西岸の高島郡を支配する拠点として、また京と北陸諸国の交通の要衝としての護りとして、さらに湖上交通の要としてこの地を押さえるため、甥(弟信勝の嫡男)の「織田信澄」に命じて、ここに「大溝城」を築城しました。信長は「大溝城」の縄張(設計)を、近江坂本に「坂本城」を築城して拠点としていた、また知将としても知られた「明智光秀」に命じました。

大溝城跡

2020年8月1日土曜日

【裁判傍聴記】争点は息子さんが主犯か従犯かという点で、有罪か無罪かではありません。勘違いしないように。

被告人は、仲間内で「質屋ダッシュ」と呼んでいる質店での窃盗事件で、質店への事前の下見を行いました。被告人は、その後に仲間の実行犯2人が、質店から品物を窃取して逃げてくるのを、車で待機するという役割も担いました。この事件で検察側は、共同共謀正犯を主張しますが、弁護側は窃盗ほう助を主張します。弁護側情状証人に立った被告人の父親は、息子は仲間に騙されたと主張しましたが、裁判長は「争点は息子さんが主犯か従犯かという点で、有罪か無罪かではありません。勘違いしないように。」と厳しくたしなめました。

ファイル:質屋の暖簾P2179691.jpg
資料画像(by Wikipedia)

2020年7月28日火曜日

「道の駅 藤樹の里あどがわ」は高島の名産品と特産品、農産品、伝統工芸品が凝縮された道の駅です

滋賀県高島市安曇川町の「道の駅 藤樹の里あどがわ」は、国道161号線沿いの関西地方と北陸地方を結ぶ交通の要衝の地に店を構えているという好立地と、地域の名産品と特産品の販売に力を入れている点もあって、2014年には年間利用者数が約88万人あったということで、滋賀県下の道の駅でNo.1になりました。鯖寿司やへしこ、鮎の佃煮などの地場ならではの味の特産品は、北陸方面からの旅行や仕事帰りの人たちのお土産として人気を集めています。

道の駅 藤樹の里あどがわ

2020年7月27日月曜日

京都市南区吉祥院の「吉祥院天満宮」は数ある天満宮のうち日本最古に創建された天満宮です

学問の神様「菅原道真公」をご祭神としてお祀りする天満宮は、全国に約1万2千社あると云われていますが、「吉祥院天満宮」はその中で最も古くに創建された天満宮です。「吉祥院天満宮」が鎮座しているこの地は、京都の中心からは少し外れた住宅街の中の、あまり目立たない位置にありますが、ここは平安京遷都の際に桓武天皇に随行してきた道真公の曽祖父が、領地を与えられて邸を構え、後に道真公が生まれ育ったという由緒ある地です。

金のなで牛・くぐり牛

2020年7月20日月曜日

「本多神社」の祭神は膳所藩主の本多家四柱、境内の稲荷山古墳の石室には子授地蔵が安置されています

滋賀県大津市御殿浜の「本多神社」には、膳所藩で最も長く藩主を勤めた本多家の累代四柱が御祭神として祀られています。本殿は旧膳所城の瓦ヶ浜御殿の跡に鎮座し、境内は紫陽花の花が咲き乱れていました。また境内には2基の円形古墳が現存し、その内の一基稲荷山古墳の石室には、鎌倉時代に造られた「子授地蔵」が安置され、山上には「広鶴稲荷」が鎮座しています。境内近くには、幕末の動乱に散った尊王攘夷派の膳所藩十一烈士を祀る「丹保之宮」があります。

本多神社境内古墳の紫陽花の花

2020年7月18日土曜日

【裁判傍聴記】奥さん、被告人を監督するうえで覚醒剤は再犯するということを知っておいて下さい

被告人は、平成17年に覚醒剤所持で執行猶予付きの有罪判決を受けました。その後は覚醒剤には手を出していなかったのですが、3年前に仕事の関係で知り合ったAから、仕事の手伝いにと元暴力団員のBを紹介されました。そしてBと一緒に行った現場仕事の帰りの車の中で、親しくなったBが実は覚醒剤の売人をしていることを知り、Bからすすめられるままに、またもや覚醒剤に手を出してしまいました。その後は芋づる式に次々とBから覚醒剤を購入し、令和2年2月コンビニの駐車場で覚醒剤を入手したことが発覚し逮捕されました。

薬, コカイン, ユーザー, 中毒, 麻酔薬, 不正な, 覚醒剤, 虐待, 常習者, 物質, 麻薬常習者
資料画像(by Wikipedia)

2020年7月14日火曜日

【麒麟がくる】「明智左馬之助湖水渡碑」は大津市打出浜のなぎさ通り沿いにひっそりと立っています

名神高速道路を大津ICで降りて琵琶湖に向かって走ると、突き当たったところに「明智左馬之助湖水渡碑」と刻まれた石標が立っています。本能寺の変で「織田信長」を討った「明智光秀」は、直後の「山崎の合戦」で「豊臣秀吉」に敗れ、坂本城への敗走中に命を落としました。この知らせを安土城で聞いた「光秀」の重臣「明智左馬之助(秀満)」は、坂本城を目指し出陣しましたが、大津のこの地に来て「秀吉」の軍勢に行く手を阻まれました。「左馬之助」は大胆にも馬に騎乗したまま琵琶湖の乗り入れ、琵琶湖を渡って坂本城に向かいました。この地は「左馬之助」の湖水渡りの伝説の地です。

明智左馬之助湖水渡碑

2020年7月12日日曜日

【裁判傍聴記】無免許でも仕事の道具を運ぶのに車が要りますし、昼の弁当食べるのにも車がほしいので・・・

被告人は、未だかつて車の運転免許を取ったことがありません。車の運転は他人が運転するのを見て、みようみまねで覚えました。とある日の朝、被告人は自宅で酒を飲んだ後、車のオイル交換をしようと家を出て運転していました。途中でパチンコをしようと思いたち、進路を変えたとたんに民家の壁に衝突しました。被告人はその場から逃げてコンビニに入りましたが、駐車場でまたも他人の車に衝突させ、被害者の通報で駆け付けた警察官に、「酒気帯び運転」「無免許運転」の容疑で現行犯逮捕されました。

運転免許証 - Wikipedia
資料画像(by Wikipedia)

2020年7月10日金曜日

滋賀県大津市中庄の「篠津神社」は江戸時代には「膳所藩」の歴代藩主の崇敬が長く続きました

滋賀県大津市中庄の住宅街の中に「篠津神社」は鎮座しています。古くには「大梵天王」と号して、「天王社」または「天王宮」と呼ばれ「産土神」として庶民の信仰を集めていました。江戸時代に入ると、「徳川家康」の指示で設立された「膳所藩」の歴代藩主の崇敬は篤く、特に最も長く13代220年にわたって藩主を務めた本多家は、社領の寄進や本殿の造営、社殿の改修も行うなど、「篠津神社」は手厚く護られてきました。

篠津神社 本殿

2020年7月9日木曜日

【裁判傍聴記】包丁を持っていることを言えば刑務所に入れてもらえると思い自首しました

被告人は、以前刑務所から出所した際に世話になった知人に会うため、連絡もせずに滋賀に来ました。JRの最寄りの駅で降りて知人を探しているうちに、電車内で飲んだ酒がきいたのか気分が悪くなり、自ら119番通報しました。救急車で病院に搬送され入院した翌朝、警備員に「自分は包丁を持っている。」と自首して110番通報するよう頼み、駆け付けた警官に「銃刀法違反」の容疑で現行犯逮捕されました。被告人は、刑務所に入りたくなって自首したと供述しています。

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資料画像(by Pixabay)

2020年7月6日月曜日

「膳所城」は東海道・中山道・北国道の三街道と琵琶湖の湖上交通を制するため、徳川家康の命で築城されました

滋賀県大津市膳所地先の琵琶湖にせり出した埼に「膳所城」は築かれていました。「膳所城」は、徳川家康が関ヶ原の合戦で勝利した直後に、京の背後の守りと、未だ豊臣秀頼が居城する大阪城への備えの城として、藤堂高虎に設計させ、譜代大名に命じて築城工事を施工させました。城主兼膳所藩藩主には、江戸幕府がサラリーマン大名を任命し、当時の交通の重要拠点であった大津を通過する三街道と、琵琶湖の湖上交通の警護にあたらせました。

ファイル:伊勢さんぐうめいしょずえ.pngのZeze城前の船
膳所城と琵琶湖の渡し舟(by Wikimedia Commons)

2020年7月3日金曜日

滋賀県大津市の「西武大津店」が44年の歴史に幕を閉じて令和2年8月31日に閉店します

「西武大津店」は、滋賀県大津市におの浜のびわこ大博覧会跡地に建てられて、昭和51年6月オープンし、多くの「西武大津ファン」に支えられながら、44年間営業を続けてきましたが、残念ながら令和2年(2020年)8月31日をもって、多くのファンに惜しまれつつ閉店することになりました。現在(7月2日付)「サンクスセール」と写真展「西武大津店44年のあゆみ展」を開催中ですので、足を運んでみてはいかがでしょうか。

西武大津サンクスセール

2020年6月30日火曜日

「祇園祭」は山鉾巡幸は中止されましたが、「長刀鉾」の粽(ちまき)はネット注文で届きました

日本三大祭のひとつで京都の夏の風物詩「祇園祭」は、毎年多くの観光客で賑わいます。特に祭のクライマックスの「山鉾巡行」では、3万人近い観光客が、華やかな装飾の山鉾の巡行に酔いしれます。ところが、今年2020年は新型コロナウィルスの影響で、山鉾巡行他の祭事が中止となりました。祇園祭に付きものの厄病・災難除けの「粽(ちまき)」も心配していましたが、ネット販売で購入することが出来ることとなり、過日家に届きました。

届いた「長刀鉾の粽」

2020年6月29日月曜日

滋賀県大津市の「膳所神社」は天智天皇が近江大津京に遷都した際に御厨として定めた地です

滋賀県大津市に「膳所」という地名があります。この地は、天智天皇が「近江大津京」を開いた際に、天皇に琵琶湖の魚介類を献上するための「御厨」として定めた場所です。当地は「浜田」という地名であったことから「陪膳(おもの)の浜田」と呼ばれるようになり、やがて「膳所」と呼ばれるようになりました。後に大和国から「豊受比売命(御食津神)」の分霊を勧請して、「大膳職の御厨神」としたのが「膳所神社」の始まりとされています。

膳所神社表門(重要文化財)

2020年6月26日金曜日

滋賀県大津市穴太の「高穴穂神社」は神話に描かれた古代の都が営まれていた地に鎮座しています

滋賀県大津市穴太は「古事記」の記述によりますと、第12代「景行天皇」が古代の都「高穴穂宮」を造営し、遷都した地とされており、「高穴穂神社(たかあなほじんじゃ)」は「景行天皇」が皇居としていた地に、鎮座したとされています。更にこの地は、飛鳥時代には渡来人が多く住み付いた地でもあったということで、現在は静かな住宅地のこの地が、かつては激動の表舞台にあったということに、歴史のロマンを感じざるを得ません。

「高穴穂宮址」周囲の「穴太の森」

2020年6月23日火曜日

【裁判傍聴記】近所の住民とのいざこざでムシャクシャしていたので目についた人を殴りました

被告人は回転ずしの代金が高いとクレームをつけて店を出た後、たまたま用事で回転ずしの店を訪ねてきた近くの農家の高齢者を殴りました。被告人は、最近家の近所の住民といざこざがあってムシャクシャしていて、酒のいきおいもあって目についた人を殴ったと供述しています。


2020年6月22日月曜日

京都寺町鞍馬口の「西園寺」は明治の元勲「西園寺公望」の祖先「藤原公経」が創建しました。

「西園寺」は、鎌倉時代の公卿「藤原(西園寺)公経」が京都の衣笠山の麓の鹿苑寺(金閣寺)付近に真言宗の寺院として創建したことに始まります。衣笠山の鹿苑寺付近にあった「西園寺」は、その後京都市中の室町に移転した後、豊臣秀吉の「天正の地割」により現在の寺町の地に移りました。

本堂の「西園寺」の扁額 (西園寺公望書)

2020年6月20日土曜日

【裁判傍聴記】母の借金の肩代わりをして金に困ったので銀行のキャッシュカードを何枚も売りました

被告人は、母親がクレジットカードで買い物や旅行の費用を支払って、多額の借金を作っていたものを肩代わりさせられる羽目になり、金に困って、いくつもの銀行に口座を開設して、そのキャッシュカードをSNS上で知りあった相手に売却しました。

お金, 借金で, 債務, お金がなくて, 投資, 経済, ファイナンス, 金融教育, 金融, 予算
資料画像(by Pixabay)

2020年6月15日月曜日

京都市北区出雲路の「天寧寺」の額縁門は比叡山を借景に一幅の風景画が完成しています

京都市北区寺町鞍馬口の「天寧寺」は、山門から東側を望むと境内の庭園風景に比叡山の稜線が借景となって、山門を額縁と見立てた一幅の風景画を成しているかのように見えます。この山門は「額縁門」と呼ばれています。「天寧寺」の屋根裏には、何故か今大河ドラマ「麒麟がくる」で一躍脚光を浴びている、「明智光秀」の位牌が隠されていたことでも知られています。

「天寧寺」額縁門

2020年6月14日日曜日

大津地方裁判所に傍聴に行ってきました。裁判所は新型コロナウィルスの感染対策を徹底しています。

3ヶ月ぶりに大津地裁に裁判傍聴に行ってきました。裁判所の入り口には感染対策で、マスク着用をお願いする旨などの注意書が掲示され、アルコール消毒液も設置されています。更に法廷に入りますと、ソーシャルディスタンが徹底され、傍聴席は席の間は横2席が使用禁止で、更に前後の席が重ならないように座れる席が配置されていますので、座れる席は実質3分の1以下となっています。

ファイル:裁判所法廷の様子.jpg
法廷(資料写真 by Wikipedia)

2020年6月11日木曜日

【裁判傍聴記】信号無視で歩行者を撥ねて大ケガさせたのに「私は常に安全運転」(高齢ドライバー)

被告人は高齢男性、車を運転して信号のある交差点を通過しようとした際、信号が赤にも関わらず交差点に進入し、青信号で横断歩道を渡ってきた女性を撥ね、左ひざに機能障害の後遺症が残る大ケガを負わせました。被告人は、警察の取り調べに対し「この交差点は事故を起こし易い場所なのでしょう、私は常に安全運転ですから。」と供述したということです。

ファイル:Traffic collision Nishinomiya, Hyogo 交通事故(西宮市).jpg
資料写真(by Wikipedia)本件とは関係ありません

2020年6月8日月曜日

京都山科の西野山中臣町の「中臣遺跡」「中臣神社」「宮道朝臣列子墓(宮道古墳)」

京都市の東側に位置する山科は、三方を山に囲まれた盆地です。盆地の中央には東側に山科川、西側には旧安祥寺川が流れており、小野のあたりで合流する様は、京都の鴨川と桂川が流れる様と似ており、地形全体も京都盆地のミニチュアかのようです。この山科地区は旧石器時代から縄文・弥生時代、奈良・平安時代、そして現代に至るまで、多くの人々が住んで文化の足跡を残してきました。

中臣神社

2020年6月4日木曜日

【裁判傍聴記】新型コロナの影響で給料が激減し生活できなかったので、ついネコババしてしまいました

被告人は、スーパーに立ち寄った際、カート置場の中の1台にトートバックが忘れられているのに気付きました。被告人はカートごとトイレに持ち込んで、バックの中から現金約7万円の入った財布と携帯電話2台を抜き取って、自分のバックに入れて持ち帰りました。後日被告人は、占有離脱物横領罪(ネコババ)で逮捕されました。

ファイル:ねこ太郎(田代島の猫).JPG
資料写真(Wikipedia)

2020年6月1日月曜日

滋賀近江八幡の「日牟禮八幡宮」の春を呼ぶ豪壮な火祭り「左義長まつり」と「八幡まつり」

滋賀県近江八幡市の「日牟禮八幡宮」は、水郷のあるノスタルジックな街並みの中に鎮座し、城のない城下町の中で、近江商人の守護神として崇敬を集めてきました。「日牟禮八幡宮」の祭礼「左義長まつり」「八幡まつり」は、豪壮な火祭りとして有名で、近隣在所だけでなく遠方からも訪れる多くの人で賑わいます。

「日牟禮八幡宮」拝殿

2020年5月26日火曜日

「覚性律庵」は千日回峰行を満行した大阿闍梨「光永澄道」和尚が再興しました

「覚性律庵」は比叡山系の山裾が、琵琶湖の水際に向かってなだらかに下っていく途中の、滋賀県大津市仰木の山中に静かに建っています。「覚性律庵」は、比叡山の荒行「千日回峰行」を満行された「北嶺大先達大行満大阿闍梨」の「光永澄道」大僧正が住職となって再興され、「西国愛染明王十七霊場第九番霊場」ともなっている天台宗の寺院です。

愛染堂(法雲堂)

2020年5月24日日曜日

京都山科の「花山稲荷神社」は三条宗近の名刀「小狐丸」ゆかりの神社です

京都市山科区の「花山稲荷神社」は、平安時代の刀鍛冶の「三条小鍛冶宗近」が崇敬した神社で、名刀「小狐丸」は、「宗近」が当社「花山大神」に祈願して、一心に打って仕上がったものです。「宗近」の「小狐丸」を打った仕事場の跡は「稲荷塚」と呼ばれ、刀鍛冶の聖蹟と崇められました。

東側参道の桜のトンネル

2020年5月21日木曜日

【裁判傍聴記】特殊詐欺「運び屋」被告人質問 犯罪の可能性は認識していました

被告人は、建設現場の仕事上の友人Aに紹介されたBから、闇バイトの誘いを受けました。被告人は後輩にこの闇バイトを紹介し、バイト当日は自分も後輩に付き添いました。バイトは、京都市内で封筒を受け取って、これを運搬して京都駅近くの道端のカラーコーンに入れるという単純なものでしたが、報酬は経費込で31万円でした。


2020年5月19日火曜日

大津市伊香立の「環来神社」のご利益は旅行や出張からの無事帰還です

滋賀県大津市伊香立途中町の「環来神社(もどろきじんじゃ)」は、当地「龍華の荘」で生まれ、第50代桓武天皇の皇妃となった「藤原旅子(ふじわらのたびこ)」を御祭神として祀っています。「旅子」が逝去後に望みどおりに故郷「龍華の荘」の梛(なぎ)の大木の下に還れたことから、「必ずや無事に還れる」という御神徳が広まり、日清・日露戦争そして太平洋戦争の際には、全国から出征兵士の家族が参拝し、無事の帰還を祈願しました。

一之鳥居

2020年5月16日土曜日

「街で見かけた名言・格言」その5 新型コロナウィルスなんかに負けるもんか

世界中が新型コロナウィルスの脅威にさらされている昨今で、日本でも「緊急事態宣言」や一部業界への「休業要請」が出されるなか、経済は疲弊し「今月は何とかなるけれど、来月も同じ状況やったら無理かな」と心痛めておられる方が多いことと思います。「街で見かけた名言・格言」で少しは心を和ませていただければと思います。

明智光秀ゆかりの大津坂本「西教寺」境内のお地蔵さん

2020年5月15日金曜日

裁判傍聴のすすめ その8 「新型コロナウィルス雇用トラブル解決に向けて」

令和2年は、「中国の武漢で新型コロナウィルスの感染が発生し、猛烈な勢いで拡大している」とのニュースでスタートしました。この流れは、瞬く間に全世界に広がり、日本でも急速に拡大してきました。社会ではテレワークが始まり、一部の業界に休業要請も出るなか、景気は急激に落ち込み、私たちの生活にも、雇用に関する問題が徐々にクローズアップされてきました。

今回は、この雇用に関する問題に、裁判所はどのように関わってくれるのか、最高裁判所のリーフレットを参考に見ていきたいと思います。

2020年5月13日水曜日

京都市上高野の「崇道神社」は冤罪を恨んで亡くなった早良親王をお祀りしています

京都市上高野の若桜街道(鯖街道)沿いに鎮座する「崇道神社(すどうじんじゃ)」は、奈良時代末期の「早良親王(さわらしんのう)」を御祭神として祀る神社です。早良親王は暗殺事件の首謀者として捕らえられ、淡路島に流される途中、無実を主張し冤罪を恨んで、抗議の絶食の末に亡くなりました。早良親王の死後、都では不可解な事件や疫病が流行し、早良親王の祟りと恐れられました。

一之鳥居

2020年5月11日月曜日

大津市仰木の「小椋神社」は天智天皇の従者「加太夫仙人」が創祀しました

滋賀県大津市仰木は、琵琶湖から比叡山に向かう琵琶湖西岸の丘陵地帯に広がる農村地域で、裾野にはUR都市機構が開発した住宅地「レークピア大津・仰木の里」があります。「小椋神社」は仰木の地の農村地帯の中にあって、比叡山延暦寺へ向かう奥比叡ドライブウェーの入り口付近にある、古い歴史を持った格式の高い神社です。

小椋神社 一之鳥居

2020年5月8日金曜日

【裁判傍聴記】キャッシング詐欺・健康保険証を偽造してカードローン契約

急にまとまった金が必要な時に借金するしかないときは、ひと昔まえの昭和の時代には利息トイチの街の闇金、今はネットで審査完結のカードローンの時代になっています。被告人は、ゲームアプリで課金して借金が膨張したため、健康保険証を偽造してネットでカードローンを契約し、カードローン会社からキャッシングカード1枚を騙し取りました。

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資料写真(Pixabay)

2020年5月5日火曜日

【裁判傍聴記】冬場は釣りのガイドの収入が少なくてつい盗んでしまいました

被告人は、新幹線に横浜から乗車し、京都駅で下車するために、車内を出口に向かって歩いている時に、空いている座席に置いてあったトートバッグを盗んで下車しました。そしてトートバッグに入っていたパソコンは、京都駅のトイレで捨て、キーケースと名刺入れはリサイクルショップで売却しました。

File:JRC新幹線シリーズ300席のグリーンcar.jpg
資料写真(Wikipedia)

2020年5月2日土曜日

「養源院」は秀吉の側室淀殿が父「浅井長政」の菩提を弔うために創建しました

京都市東山区の「養源院(ようげんいん)」は、通し矢で有名な「三十三間堂」の東向いに奥まって建っています。「養源院」は、浅井三姉妹の長女で豊臣秀吉の側室となった「淀殿(よどどの)」が、父「浅井長政(あざいながまさ)」の菩提を弔うために建立しました。

「養源院」山門

2020年4月30日木曜日

京都東山の「法住寺」の身代わり不動尊はあらゆる災厄からお護りくださいます

京都市東山区三十三間廻り町の「法住寺(ほうじゅうじ)」のご本尊の「不動明王」は、「身代わりさん」と呼ばれ、あらゆる災厄から身代わりとなってお護りくださいます。
「法住寺」は、漫画「サザエさん」の作者「長谷川町子」が生前に本寺を訪れた際に、静かでいいところと気に入り、菩提寺として没後に遺骨の一部が分骨されました。

「法住寺」山門

2020年4月28日火曜日

京都山科西野山の急峻な地の山腹に産土神の「山科神社」は鎮座しています

「山科神社(やましなじんじゃ)」は、京都東山連峰の南端部の東側山腹の急峻な地に鎮座しています。この地の豪族の宮道氏(みやじし)」の祖神として、また「山科一之宮(やましないちのみや)」とも呼ばれ、この地の産土神として人々の崇敬を受けて栄えてきました。


2020年4月26日日曜日

忠臣蔵の「大石内蔵助」は京都山科の「岩屋寺」で秘かに時を待ちました

京都市山科区西野山の「岩屋寺(いわやじ)」は、境内に江戸時代中期に起こった赤穂事件で、主君の仇討ちの首領となった「大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしお)」の閑居跡があることで知られています。曹洞宗の尼寺で、本堂には「大石内蔵助」の遺髪や遺品なども安置し、「大石寺岩屋禅寺(おおいしじいわやぜんじ)」とも呼ばれています。

年参道入口の「大石大夫閑居跡」の標石

2020年4月24日金曜日

京都山科に忠臣蔵の「大石内蔵助」を御祭神として祀った「大石神社」があります  

京都市山科区の稲荷山の東麓に、「忠臣蔵」「大石内蔵助(おおいしくらのすけ・本名良雄)」を御祭神として祀る「大石神社(おおいしじんじゃ)」があります。毎年12月になるとテレビでは時代劇「忠臣蔵」が放映されます。「忠臣蔵」は江戸時代中期の「赤穂事件」を題材とした時代劇ですが、主君のかたき「吉良上野介」の仇討ちを成功させたのが、赤穂藩の城代家老であった「大石内蔵助」です。




2020年4月23日木曜日

働く女性の守り神「折上稲荷神社」境内にはご利益めぐりの稲荷塚も【京都山科】

京都市山科区中臣町の「折上稲荷神社(おりがみいなりじんじゃ)」は、「働く女性の守り神」として商売繁盛祈願など働く女性の崇敬を集め、多くの女性社長やOLが参詣に訪れ参拝者の90%が女性だそうです。女優や女性芸能人、女性タレントなどもお忍びで参拝しているということです。境内には「一生お金に困らない」などの様々なご利益が授かるご利益のデパートのような「稲荷塚」もあります。


2020年4月21日火曜日

大津市伊香立の「八所神社」は天智天皇の朝臣「平群飛鳥真人」が勧請しました

滋賀県大津市伊香立に鎮座する「八所神社(はっしょじんじゃ)」は、飛鳥時代に「天智天皇」が「近江大津京」へ遷都した際に、随従した朝臣「平群飛鳥真人」が、伊香立の地を食邑地として与えられ、当地に自身の祖先の「天大吉備諸進命」を勧請し社殿を造営したことに始まり、約1350年の歴史を有します。


2020年4月20日月曜日

滋賀県栗東市の「大宝神社」は宝くじのパワースポットとして隠れたブームです

滋賀県栗東市の「大宝神社(だいほうじんじゃ)」は、旧中山道の街道沿いの「綣(へそ)」という名前の地に鎮座しています。「大宝元年(701年)」の創建で、当時流行った疫病を鎮めるため、「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」を御祭神にお祀りした歴史と由緒のある神社です。最近では神社の名前から「大きな宝」のパワーを求めて、多くの宝くじファンが参詣しています。

中山道沿いの参道入り口

2020年4月17日金曜日

大津市伊香立の「新知恩院」は知恩院が応仁の乱から疎開して創建しました

「新知恩院(しんちおいん)」は、滋賀県大津市伊香立にある浄土宗の寺院です。応仁の乱の戦火に巻き込まれて炎上した京都東山の「知恩院(ちおいん)」は、焼け残った仏像や経典などを避難させようとして、当地に寺院を創建して避難させてきた仏像や経典などを安置して「新知恩院」と名付けました。

山門

大津市伊香立の「融神社」の御祭神は源氏物語の光源氏のモデル「源融」です

大津市伊香立は、現在も田園風景の広がるのどかな里山の地ですが、京都大原から山一つ越えた地ということもあり、古来より歴史のなかで名を残してきた地でもあります。「融神社(とおるじんじゃ)」は、平安時代前期に当地に荘園を構えていた嵯峨天皇の第18皇子「源融(みなもとのとおる)」をお祀りしています。「源融」は紫式部が書いた「源氏物語」の「光源氏(ひかるげんじ)」の実在のモデルとされています。

一之鳥居

2020年4月13日月曜日

【裁判傍聴記】預金通帳やカードを他人に譲るために口座を開設して詐欺で逮捕

被告人は、ボーイとして働いていたキャバクラの客の知り合いXから脅されて、銀行口座を開設し、預金通帳とキャッシュカードをその知り合いXに譲渡しました。その後Xが別件で逮捕され、その捜査の過程で、Xが当該銀行の別の支店のATMで、被告人が譲渡したキャッシュカードを使って被告人の口座にお金を入金していることが判明し、被告人が自身の預金通帳とキャッシュカードを不正にXに譲渡したことが発覚しました。

ファイル:PASPY ATM.jpg
資料画像(Wikipedia)

2020年4月8日水曜日

京都上高野の「蓮華寺」の書院の縁側から庭を眺めていると時間を忘れます

京都市左京区上高野(かみたかの)の高野川のほとり、若狭路(鯖街道)沿いにひっそりと佇む「蓮華寺(れんげじ)」の庭園は、書院の縁側の前に池があり、池には舟石や亀石・鶴石が配置され、そして池の周囲には楓や松などの木々が配置されています。初夏には青もみじ、晩秋には紅葉が池に映え、縁側に座って眺めていると時間の過ぎるのを忘れます。


2020年4月5日日曜日

京都市岡崎の「平安神宮」「琵琶湖疎水」周辺の桜はみやびに咲き乱れていました

令和2年の春、新型コロナウイルスの影響で観光客が激減している、京都の観光の中心の左京区岡崎の「平安神宮」と「琵琶湖疎水」の周辺を待歩きし、桜の花を楽しんできました。もちろん「マスク」を着用し、自身の防御とともに他人に迷惑を掛けないよう、3密(密閉・密集・密接)に対して防御しつつ街歩きしました。

丸太町通り沿いの御辰稲荷神社の源平桜