2020年8月25日火曜日

「里の駅大原」には地元大原や近郊の農家で採れた旬の新鮮野菜と杵つきのお餅などが並んでいます

大原は、京都市の北東部にあって「三千院」「寂光院」などの有名なお寺もあり、全国的に有名な観光地ですが、それだけでなく山里の景色も、春の桜から初夏の青もみじ、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々様々な景色を楽しむことができる山里です。「里の駅大原」は、大原の里や近郊農家で採れた旬の新鮮野菜や京野菜が並べられ、京都の有名レストランのシェフや、隣接する滋賀県からのお客さんが絶えず訪れ、また大阪や神戸方面からもわざわざ買い求めに来ています。駅構内で作られている杵つき餅もよもぎ餅やしそ餅もあり、人気商品となっています。

里の駅 大原

2020年8月9日日曜日

日本初の水力発電所「蹴上発電所」を建設し、京都に日本初の市街電車を走らせた「高木文平」の生家跡を訪ねました

「高木文平」は、京都電気鉄道を設立し初代社長を務め、京都市内に日本初の市街電気鉄道を走らせました。文平の偉業はこれだけでなく、琵琶湖疎水の工事には当初から関係し、田辺朔郎とともにアメリカに渡って水力発電技術を持ち帰り、日本で初めての水力発電所「蹴上発電所」の建設にも尽力して、発電した電力を電気鉄道の動力源とするなど日本の近代化に大きな礎を残しました。その後も宇治川発電所の建設にも尽力して「電気王」と称されました。

高木文平生家前に立つ頌徳碑

2020年8月6日木曜日

京都寺町今出川上ルの「阿弥陀寺」には本能寺の変で散った織田信長父子と森蘭丸等家臣の本廟があります

「阿弥陀寺」の開基「清玉上人」は、幼少の頃に母を亡くし尾張の織田家に育てられました。仏門に入った清玉上人は、やがて近江国坂本で阿弥陀寺を開基しました。その後、清玉上人は「織田信長」の帰依もあって、京都の今出川大宮付近に阿弥陀寺を移転しました。織田家と信長に対し、幼少以来の恩義を感じていた清玉上人は、本能寺の変の一報を聞くやいなや、すぐさま本能寺に駆け付け、信長父子と家臣達の亡骸を隠して持ち帰り、阿弥陀寺の墓所に葬って手厚く弔いをしたということです。その後、豊臣秀吉の京都の都市計画で阿弥陀寺を当地に移転した際にも、信長父子と家臣達の廟を大切に移転して、現在まで手厚く供養しています。

総門前の「織田信長公本廟」の石標

2020年8月3日月曜日

【滋賀県高島市の大溝城遺跡】 大溝城は織田信長の甥の信澄が明智光秀の縄張(設計)で築城しました

滋賀県高島市の高島病院の駐車場の離れに「大溝城跡」があります。「大溝城」は現在では天守跡の石垣が残るのみです。織田信長は、琵琶湖西岸の高島郡を支配する拠点として、また京と北陸諸国の交通の要衝としての護りとして、さらに湖上交通の要としてこの地を押さえるため、甥(弟信勝の嫡男)の「織田信澄」に命じて、ここに「大溝城」を築城しました。信長は「大溝城」の縄張(設計)を、近江坂本に「坂本城」を築城して拠点としていた、また知将としても知られた「明智光秀」に命じました。

大溝城跡

2020年8月1日土曜日

【裁判傍聴記】争点は息子さんが主犯か従犯かという点で、有罪か無罪かではありません。勘違いしないように。

被告人は、仲間内で「質屋ダッシュ」と呼んでいる質店での窃盗事件で、質店への事前の下見を行いました。被告人は、その後に仲間の実行犯2人が、質店から品物を窃取して逃げてくるのを、車で待機するという役割も担いました。この事件で検察側は、共同共謀正犯を主張しますが、弁護側は窃盗ほう助を主張します。弁護側情状証人に立った被告人の父親は、息子は仲間に騙されたと主張しましたが、裁判長は「争点は息子さんが主犯か従犯かという点で、有罪か無罪かではありません。勘違いしないように。」と厳しくたしなめました。

ファイル:質屋の暖簾P2179691.jpg
資料画像(by Wikipedia)