2020年6月29日月曜日

滋賀県大津市の「膳所神社」は天智天皇が近江大津京に遷都した際に御厨として定めた地です

滋賀県大津市に「膳所」という地名があります。この地は、天智天皇が「近江大津京」を開いた際に、天皇に琵琶湖の魚介類を献上するための「御厨」として定めた場所です。当地は「浜田」という地名であったことから「陪膳(おもの)の浜田」と呼ばれるようになり、やがて「膳所」と呼ばれるようになりました。後に大和国から「豊受比売命(御食津神)」の分霊を勧請して、「大膳職の御厨神」としたのが「膳所神社」の始まりとされています。

膳所神社表門(重要文化財)

膳所神社(膳所じんじゃ)御由緒 

名 称
膳所神社(ぜぜじんじゃ)

御祭神 
豊受比売命(とようけひめのみこと) 

創 建
天武天皇6年(677年)

御神紋
上り藤 橘

社格等
式内社・旧郷社

境内社
・愛宕社  
 御祭神:火乃加具神(ひのかぐつちのかみ)
・松尾社  
 御祭神:大山咋神(おおやまくいのかみ)
     市杵島姫神(いちきしまひめかみ)
・稲荷大明神 
 御祭神:宇賀之御魂神(うかのみこまのかみ)
・月道龍神社 
 御祭神:闇淤加美神(くらおかみのかみ)

例大祭
例大祭(5月3日)
千灯祭(9月)

ご利益
・五穀豊穣
・漁業繁栄
・商売繁盛

所在地
滋賀県大津市膳所一丁目14-14

膳所神社鳥居

「天智天皇(てんちてんのう)」は、「中大兄皇子」の時代に「大化の改新」の政治改革を断行しました。その後、百済復興のため朝鮮半島に兵を送りましたが「白村江の戦」に大敗するなど、外交面での失敗はありましたが、並行して大津の錦織に新たな都の造営を進め、天智天皇6年(667年)「近江大津京」へ遷都を果たしました。

遷都の際「天皇」は、当地を天皇に琵琶湖の魚介類を献上するための「御厨(みくりや)」と定めました。

当地はそれまでは琵琶湖岸の田園で「浜田」と呼ばれていましたが、これ以後は「陪膳(おもの・天皇の食材給仕所)の浜田」と呼ばれるようになりました。当地は相模川の扇状地で、その先端部が琵琶湖に崎を形成していたことから、その後「陪審の崎(おもののさき)」と呼ばれるようになり、時代とともにやがて「膳(ぜん)の前(さき)」、そして「膳前(ぜぜ)」へと変わり、やがて「膳所崎(ぜぜさき)」となったということです。

膳所神社鳥居

「壬申の乱(じんしんのらん)」の後の天武天皇元年(672年)、天武天皇が皇位を継承して「近江大津京」は廃都となり、宮殿は大和国の「飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)」に遷りましたが、当地の御厨としての機能は残り、飛鳥の宮殿に琵琶湖の魚を献上し続けていました。

その後、天武天皇6年(677年)、当地に「大膳職(だいぜんしき・宮廷の食事番)の御厨神」として、大和国から「豊受比売命(食物を司る神)」を分霊・勧請したのが、「膳所神社」の始まりと伝えられています。

平安時代にも、当地は天皇に献上する魚介類を調達するために、指定されたとも伝えられています。

拝殿

拝殿の天井

安土桃山時代から江戸時代を跨ぐ慶長年間(1596年~1615年)には、「大政所(秀吉の生母)」や「豊臣秀頼」、「徳川家康」等が「膳所神社」を篤く崇敬し、種々の神器を寄進しました。

江戸時代に入り、第113代「東山天皇(ひがしやまてんのう)」は、「膳所大明神」の宣下(勅令)を行いました。

本殿随身門

本殿随身門左側の随身像

本殿随身門右側の随身像

本殿

江戸時代初期の慶長6年(1601年)、「徳川家康」は東海道の押さえとして、「大津城」を廃して「膳所神社」のある膳所崎に「膳所城」を築かせました。「膳所城」は天下普請として江戸幕府が天下の諸大名に号令して築いた第1号です。

「膳所城」の初代城主には元大津城主「戸田一西」を俸給3万石で任命し、「膳所藩」を発足させました。その後「本多康俊」が入城し、一時他家の大名が藩主として入城しましたが、「本多家」が13代220年にわたって「膳所藩」の藩主として、明治維新を迎えるまで君臨しました。

「膳所神社」は本多家歴代藩主の崇敬が篤く、社領、社殿の寄進、造営が度々ありました。

明治3年(1870年)「膳所城」は、明治新政府の早期実現を望む藩士達により、廃城の太政官布告が発布された翌日より天守以下の建物の解体・移築が行われ、城門(本丸大手門)は、「膳所神社」の表門へと移築されました。

この表門は膳所城の城門として、明暦元年(1655年)に建てられたもので、江戸時代初期の城門建築の遺構として大変貴重なことから、大正13年(1924年)に重要文化財に指定されています。

表門(旧膳所城城門・重要文化財)

表門の他、大きな通りに面した「北門」と「南門」も「膳所城」から移築された城門で貴重な文化遺産です。

北門

南門


境内社

愛宕社

愛宕社

松尾社

松尾社

稲荷大明神

稲荷大明神

月道龍神

月道龍神


式内社の石標

「膳所神社」は、延喜式では「郷社」に指定され、境内の一角に「郷社 式内 膳所倭神社」と刻まれた石標が立っています。

「郷社 式内 膳所倭神社」石標

境 内

境内の拝殿前には大変広い空き地がとってあります。祭礼の際に使用するのでしょう。


社務所・手水舎

社務所

手水舎

アクセス
JR琵琶湖線 膳所駅下車 徒歩17分
京阪電車石坂線 膳所本町駅下車 徒歩1分

京阪電車石坂線 膳所本町駅

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