被告人は高齢男性、車を運転して信号のある交差点を通過しようとした際、信号が赤にも関わらず交差点に進入し、青信号で横断歩道を渡ってきた女性を撥ね、左ひざに機能障害の後遺症が残る大ケガを負わせました。被告人は、警察の取り調べに対し「この交差点は事故を起こし易い場所なのでしょう、私は常に安全運転ですから。」と供述したということです。
資料写真(by Wikipedia)本件とは関係ありません |
罪 状 過失運転致傷
被告人 70代後半男性
判 決 次回期日以降
今回の事件は、高齢男性の運転する車が交差点に信号無視で進入し、青信号で渡っていた何の落ち度もない女性を撥ねて、後遺症の残る大ケガをさせたという交通事犯です。被告人は、2年前にも同じ交差点で、今回と同様に信号無視で進入して自転車を撥ね、全治2週間のケガを負わせています。
被告人には、自らの不注意で他人を傷つけたという自覚がないようで、「この交差点は私以外にも事故を起こしている。この交差点は事故を起こし易い場所なのでしょう。私は常に安全運転です。」などと供述しています。さらに、今回行政処分として免許取消処分を受けていますが、取消期間経過後、再度免許を取って車を運転するとも言っています。「安全運転を心掛けていますので、事故は起こしません。」とのことです。
高齢ドライバーの事故が多いのは、高齢者自身が身体機能が衰えているという自覚か欠如していることと、身勝手な自信が原因だということが、改めて分かった事件でした。高齢者の車の運転にはもっと厳しい条件を付けないと、このような事件が後を絶たないと思います。
公判廷の傍聴席最前列には、杖をついた被害者の女性とご主人であろう方が座られましたが、被害者参加制度を活用して、検察側の横の席に座られた方が、反省があまり感じられない被告人に対して、より厳しい立場で臨めるのにな、と感じたところです。
事件の概要
令和1年11月〇日午前11時頃、被告人は京都市内の交差点を、北西から南東方向に向かって通過しようと普通乗用車を走らせていました。走行速度は20~30Kmでした。被告人は交差点手前約140mの地点では前方の信号は青でしたので、そのまま車を進めましたが、横断歩道手前約11mで横断歩道に歩行者が歩いているのに気付き慌ててブレーキを踏みましたが、時すでに遅しで歩行者に衝突しました。被告人が青信号を確認してから歩行者に衝突するまで15秒経過していました。
歩行者は歩行者用信号が青になって横断を開始していました。つまり、被告人は赤信号で交差点に進入したのです。
被害者は、60代の女性で、この事故による被害程度は、左膝打撲は杖をつかないと歩けない状態で、今後機能障害の後遺症が残る重傷で、さらに左頸部にも障害があり、後遺症が残存する見込みとの診断が出ています。
事故現場の交差点は直線道路上にあり、見通しのよい交差点でした。
被告人は、平成29年にも今回と同じ交差点で、今回と同じ方向から、今回と同じように、交差点に信号無視で進入し、横断歩道の自転車に追突して全治2週間のケガを負わせていました。前回も過失運転致傷で起訴され、罰金30万円の罰金刑に処されています。(どうやら被告人は、罰金刑を行政処分の反則金と同じととらえているようです。)
被告人は、大学を卒業後電気設備関係の会社で働き、定年退職後は無職で年金生活をしていました。前科は罰金刑の1件、道交法違反歴は3件あります。自宅には妻と2人の娘が同居しており、被告人は早朝から昼過ぎまで、中央市場で仲卸をしている弟の仕事を手伝っています。
被害者の女性は、警察の事情聴取に対し、「被告人は厳罰に処してほしい。そして他の人のためにも、今後は被告人は車を運転してほしくない。」と述べています。
被告人は、警察の取り調べに対し「この交差点は事故を起こし易い場所なのでしょう、私は常に安全運転ですから。」と供述していました。
人定質問
裁判長が出廷している被告人が本人に間違いないかどうか、「本籍」「現住所」「職業」の確認をします。
被告人は職業を問われた際に、無職ではなく中央市場で仲卸をしている弟の手伝いをしていると強硬に主張しました。(自分の主張を曲げません。)
罪状認否
被告人も弁護人も、起訴状記載の公訴事実に間違いないと答えました。
弁護側証拠申請
弁護側は書証として、被告人が加入していた自賠責保険の現在の状況について、弁護人が聞き取った事項を記したものを提出しました。それによると、自賠責の保険額は対人・対物ともに無制限で、4月末現在で保険会社から被害者が受診している医療機関に対し167万円支払われているとのことでした。そして被告人ないし被告人の妻から、被害者に対して直接の謝罪はしておらず、全て保険会社が対応しているとのことでした。(被告人は、傍聴席に被害者が座っていることに全く気付いていない様子でした。)
被告人質問
弁護人
あなたは、信号が赤になる直前ならば渡ってもいいと思っていたのですか。
被告人
そういうつもりじゃなかったですけれども、この道はしょっちゅう通る道で、よく慣れた道でしたので、橋のところの信号、ひとつ先の信号を見ていたのだと思います。
弁護人
いつ歩行者に気付きましたか。
被告人
横断歩道の直前で気付きました。すぐにブレーキを踏みましたが、ぶつかりました。スピードは出ていません。
弁護人
2年前、同じ交差点、同じ信号無視で自転車にあたっていますね。前回の事故は、傷は大したことなかったけれど、2件とも信号無視といえます。あなたは業として車を運転していたのではないのですか。
被告人
私には53年間の運転歴がありますが、運転を仕事とはしていません。私は、大学卒業後電気設備関係の仕事をしていましたが、仕事として車は運転していません。
弁護人
通勤では運転していたのでは。
被告人
運転していましたが、無違反です。
弁護人
では、何故今回の事故が起こったのでしょう。
被告人
あの交差点は事故が多いのです。不思議に事故が多いのです。私の事故以外にも事故を起こしています。
弁護人
あなたは70代後半、年と共に注意力が散漫になっていると思いませんか。
被告人
自分ではそう思っていませんでした。
弁護人
今回の事故で免許は取消になっています。返上しようとは思いませんか。
被告人
返上はしません。安全な運転を心掛けます。家庭の事情もあって運転する必要があります。
弁護人
家族の中で免許を持っている人はいないのですか。
被告人
長女は免許を持っていますが、今は運転していません。
弁護人
では何故免許取消期間が明けて後に免許を再取得してまで、車を運転する必要があるのですか。
被告人
実家の商売の中央市場の仲卸の仕事は私を必要としていて、やめられないからです。毎朝4時前に車で中央市場まで行く必要があります。
弁護人
今現在、免許取消中はどうしているのですか。
被告人
朝3時50分に自宅まで弟が迎えに来てくれています。
弁護人
3度はないということは分かっていますか。
被告人
分かっています。
検察官
平成29年の事故までは無事故・無違反ということでしたが、何故2回も同じ事故を起こしたのですか。前回の事故で信号を見落としたということは、分かっていたはずですね。
被告人
安全を心掛けて走っていました。信号を見落としているつもりはありませんでした。
検察官
では何故今回信号を見落としたのですか。
被告人
信号を無視しているつもりはありません。尊重しています。
検察官
結果的に同じ信号で事故をおこしましたね。
被告人
あの場所は事故を起こし易いのです。
検察官
自分の不注意が原因だとは思わないのですか。
被告人
前回の事故の後、通行ルートを変えました。
検察官
前回の事故のとき、2度と起こしませんと言っていますね。今回も同じように事故を起こしているのに、また運転しようと思っているのですか。
被告人
実家の仕事が私を必要としているのです。
検察官
あなたの仕事を誰かに引き継げるよう、若手を育成するとか工夫しなかったのですか。
被告人
もう事故は起こしません。
検察官
結局、今後も運転するということですか。
被告人
今後は運転する頻度は少なくなると思います。
裁判長
あなたが今後も運転しなくてはならないという理由がよく分かりません。現在弟に向かえに来てもらっていて、支障がないのであれば運転しなくてもよいのでは。
被告人
家庭的な事情も自分にはあります。今は弟の好意に甘えていますで、いつまでも甘えてはいられません。
裁判の向う側
法廷の被告人の話を聞いていると、池袋の高齢ドライバーの暴走事故を思い出しました。
元経産省の高級官僚であった高齢ドライバーが運転していた車が暴走して多重衝突事故を起こし、母子2人が死亡、運転していた本人含め10人が負傷した事件です。このときこの高齢ドライバーは、「アクセルが戻らなくなり人を轢いた。」と息子に電話したといい、またその後の報道へのインタビューでも「体力に自信があった。安全な車を開発するようメーカーには心掛けてもらいたい。」などと自分の運転ミス・不注意を反省する気配もなく、まるで他人事のように語ったということです。
今回の事件でも、被告人の態度はこれだけの事件を起こしておきながら、まるで他人事です。交差点の問題にしてみたり、自分は安全運転を心掛けていたなどと、被害者を無視した発言は、とても年齢を重ねた大人の言うことではありませんでした。高齢者ということでなんでも許されるというような日本の社会の風潮が、このような発言を生んでいるのでしょうか。被害者の立場に立ってみれば、とても許されるものではありません。
人間は年を重ねるごとに、身体の機能は衰えてくるものです。どうしても判断力や瞬発力は低下するのです。それを自覚できない人に凶器ともなる車を運転させるということは絶対あってはなりません。被告人が反省できないのであれば、実刑やむなしではないでしょうか。
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