2020年6月1日月曜日

滋賀近江八幡の「日牟禮八幡宮」の春を呼ぶ豪壮な火祭り「左義長まつり」と「八幡まつり」

滋賀県近江八幡市の「日牟禮八幡宮」は、水郷のあるノスタルジックな街並みの中に鎮座し、城のない城下町の中で、近江商人の守護神として崇敬を集めてきました。「日牟禮八幡宮」の祭礼「左義長まつり」「八幡まつり」は、豪壮な火祭りとして有名で、近隣在所だけでなく遠方からも訪れる多くの人で賑わいます。

「日牟禮八幡宮」拝殿


日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)御由緒 
名 称
日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)

御祭神 
譽田別尊(ほむだわけのみこと・第15代応神天皇)
息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと・応神天皇の母で神功皇后)
比賣神(ひめがみ・宗像三女伸/田心姫命・湍津姫命・市杵嶋姫命の三柱の女神の総称)

創 建
成務天皇元年(131年)

御神紋
左三ツ巴

境内社
・大島神社(おおしまじんじゃ)
 御祭神:大国主命(おおくにぬしのみこと)
    :大鷦鷯命(おほさざきのみこと・仁徳天皇)

・繁元稲荷神社(しげもといなりじんじゃ)
 御祭神:宇加之御魂神(うかのみたまのかみ)
    
・八坂神社(やさかじんじゃ)
 御祭神:建速須佐雄命(たけはやすさのおのみこと)
    :少彦名命(すくなひこなのみこと)

・恵比須神社(えびすじんじゃ)
 御祭神:事代主命(ことしろぬしのみこと)
    :金山彦命(かなやまひこのみこと)

・岩戸神社(いわとじんじゃ)
 御祭神:橦賢木之御魂命(つきさかきのみたまのみこと)
    :天疎向津姫命(あまさかるむかつひめのみこと)    

・天満宮(てんまんぐう)
 御祭神:菅原道真(すがわらのみちざね)

・常盤神社(ときわじんじゃ)
 御祭神:天照大神(あまてらすおおみかみ)
    :豊受大神(とようけおおかみ)
    :熱田大神(あつたおおかみ)
    :津嶋大神(つしまおおかみ)

・宮比神社(みやびじんじゃ)
 御祭神:天宇受売命(あまのうずめのみこと)

・愛宕神社(あたごじんじゃ)
 御祭神:火産霊命(ほむすびのみこと)

・秋葉神社(あきばじんじゃ)
 御祭神:火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)

例祭等
左義長祭 3月14日・15日に近い土・日曜日
八幡祭  4月14日~16日
萬灯祭  8月15日・16日


ご利益
・譽田別尊
 勝運招来・出世開運・国家鎮護・殖産興業
・息長足姫尊
 安産・子育て・厄除け・学業成就
・比賣神
 海上安全・財運向上・技芸上達

所在地
滋賀県近江八幡市宮内町257

一之鳥居

社伝によりますと、成務天皇元年(131年)第13代「成務天皇(せいむてんのう)」が滋賀県大津市穴太にあったとされる「志賀高穴穂宮(しがたかあなほのみや)」で即位した際に、「竹内宿禰(たけうちのすくね・伝説上の忠臣)」に命じて現在の日牟禮八幡宮の社地に「大嶋大神」(地主神)を祀ったのが創建とされています。

楼門

古墳時代の応神天皇6年(275年)、第15代「応神天皇(おうじんてんのう・八幡神)」は母である「神功皇后」の生地の近江国の息長村(現在の米原市)に行幸した際に、「奥津嶋神社」に参詣しました。その後「天皇」は京へ帰る途中に宇津野々辺(現在の日牟禮神社付近)で休憩し、当地に御座所を設け四方を観光しました。それから年を経て、その御座所が設けられた仮屋跡に日輪の形を2つ見るとの不思議な現象があったので、そこに祠を建てて「日群之社八幡宮」と名付けました。

飛鳥時代の持統天皇5年(691年)、「藤原夫比等(ふじわらのふひと・中臣鎌足の次男)」が「日群之社八幡宮」に参拝し、このとき詠んだ和歌に因んで「日牟禮之社」と名付けられたとの記事があります。

「天降りの 神の誕生の八幡かも 日牟禮の社に なびく白雲」

なお、日牟禮社の名は、日觸(ひふれ)が転化したものとする説があり、「和珥氏(わにうじ・古代日本の豪族で大津市和爾で勢力を広げた後の小野氏)」「日觸使主(ひふれのおみ・応神天皇の大臣)」に由来するとも云われています。

平安時代初期の寛平元年(889年)、「奥津嶋神社」の神殿が大きな音をたてて鳴り響き、火の玉が飛び出してきて「日牟禮之社」に入ったと伝えられています。その後「奥津島神社」の地は一夜にして琵琶湖の湖水に沈み、「奥津嶋神社」の神霊は「日牟禮之社」に遷られ、これが故に「日牟禮之社」は「三柱二神九所之社」となったとも伝えられています。

平安時代中期の正暦2年(991年)、第66代「一条天皇」の勅願により、当社の背後の法華峰(八幡山)に社を建て、九州大分の「宇佐八幡宮」を勧請して、「上之八幡宮」を祀りました。さらに寛弘2年(1005年)には、遥拝所を山麓に建立して「下之社」と名付けました。(現在の社殿は下の社)

本殿

本殿の建物は、三間社流造千鳥破風向拝付 間口三軒三尺 奥行三間となっています。

本殿

本殿の背後は八幡山の裾野の岩山が露出しています。八幡山を磐座としていたのでしょう。
本殿と祈祷所の間は渡り廊下で繋がれています。

本殿(背後は岩山)

「日牟禮之社」は、室町時代には足利将軍家や近江国の守護大名「六角氏」から寄進を受けています。

安土桃山時代の天正13年(1585年)「豊臣秀吉」が関白となった年、秀吉の甥の「豊臣秀次(とよとみひでつぐ・秀吉の姉の長男)」は当社の背後の山「法華峰」に「八幡山城」を築城しました。この際「上之八幡宮」は一旦外に遷し、城が完成の後は日杉山に社を建てて遷すことを前提として、「上之八幡宮」の御神体を「日牟禮之社」に遷しました。

「秀次」が築いた「八幡山城」は、「織田信長」の「安土城」のあった安土を見下ろして琵琶湖にも近く、また計画的に造られた城下町には琵琶湖へと舟で繋がる「八幡堀」が巡らされ、現在もその姿を留めています。上下水道も整備され、地名に残る「背割」はもともと下水のために掘られた溝を指します。城下町は、安土城の城下町から人々が移り住み、「秀次」は領内の統治では善政を布いたと云われ、商人の町として大いに発展しました。

八幡堀

八幡掘

嫡男が生まれなかった「秀吉」は、天正19年(1591年)「秀次」に関白職を委譲しましたが、実質の政治は「秀吉」が執り行い二元政治のようなものとなっていました。

その後、側室の「淀殿(よどどの・浅井長政の長女茶々)」との間に嫡男「豊臣秀頼(とよとみひでより)」が産まれた「秀吉」は、「秀頼」を自身の後継者とするため、文禄4年(1595年)「秀次」を失脚させたうえ高野山で自害させるとともに、「秀次」の一族郎党まで殺害し、「八幡山城」も廃城としました。

その結果、日杉山への「上之八幡宮」の社殿の移転は中止となり、現在の姿の「日牟禮の社」一社となりました。

「八幡山城」が廃城となった後も、城下町は商人の町として発展を続け、名だたる近江商人を育てました。「日牟禮八幡宮」は近江商人の守護神として、崇敬を集めることとなりました。

安土桃山時代末期の慶長5年(1600年)、「徳川家康」は関ヶ原の合戦の後に武運長久の祈願を込めて参詣し、50石の地を寄進しました。後には「家光」「家綱」も御朱印を下しています。

昭和41年(1966年)、神社名を「日牟禮八幡宮」に改称しました。


左義長まつり

「信長」が安土城下で毎年正月に行い、自らも異粧華美な姿で踊ったという奇祭です。「信長」亡き後「秀次」が八幡山城を築いた後に、城下に移り住んだ安土の人々は八幡まつりの荘厳さに驚いて、これに対抗して左義長を奉納したと云われています。

左義長まつりは、毎年3月の14日・15日に近い土日に、66ヶ町の氏子によって行われます。藁で編んだ約3mの三角形の松明のうえに赤紙等で飾り付けた数mの青竹を取り付け、杉葉で作った頭の上には「火のぼり」という御幣と、中心には干支に因んだ飾り物が付けられます。土曜の午後に約10数基の左義長が神社から町に繰り出し、化粧して女装した若者が「チョウヤレ、ヤレヤレ」と声を掛け合い踊りながら町内を巡ります。日曜の午後には「けんか」と呼ばれる左義長同士の組み合いが繰り広げられ、午後8時頃から境内で順次左義長に奉火され、燃え盛る左義長は春の訪れを告げます。

左義長


八幡まつり

応神天皇6年(275年)、第15代応神天皇が母である「神功皇后」の生地の近江国の息長村(現在の米原市)に行幸しましたが、その途中大嶋神社を参詣するため、琵琶湖から上陸しました。その際、湖岸に生えていた葦で松明をつくり、火を灯して天皇一行を八幡まで案内したのが、祭の始めと云われています。

毎年4月14日と15日に、旧村落山根12郷の氏子によって行われます。

松明祭と呼ばれる14日の宵宮祭は、各郷から葦と菜種がらで作られた松明が奉納されます。午後8時頃に10mもの大松明をはじめ、大小各種30本以上の松明が古例のしきたりによって奉火されます。翌15日の本祭は、太鼓祭とも云われ、12郷の大太鼓が太鼓宿から荘厳な音を響かせながら宮入し、拝殿の前で大太鼓を差し上げ、神職・神役などの祝詞(シューシ)を受けます。16日はすでら渡りが行われます。

八幡まつりの松明

左義長まつりも八幡まつりも、楼門前の普段は駐車場となっている広場をメイン会場に行われます。会場には警備本部も設けられます。

楼門前広場 右側の建物が警備本部


安南渡海船額

江戸時代初期に安南(ベトナム)貿易で活躍した近江商人「西村太郎衛門」が奉納した絵が掲げられています。(レプリカ)

安南渡海船額

境内社

大島神社

大島神社

繁元稲荷神社

繁元稲荷神社

八坂神社

八坂神社

恵比須神社

恵比須神社

岩戸神社

岩戸神社

天満宮・常盤神社・宮比神社

中央「天満宮」左「常盤神社」右「宮比神社」

愛宕神社・秋葉神社

愛宕神社・秋葉神社


能舞台

境内の一画に「能舞台」があります。「日牟禮八幡宮」の起源ともなった「応神天皇が当地にて日輪の形を2つ見た」との伝承から、「日觸(ひむれ)詣」という能が創作され、社殿の改築・新築にあたり明治32年(1899年)この能舞台で初演されました。

能舞台

能舞台


御祈祷所・社務所・手水舎

御祈祷所
社務所
手水舎


たねやとCLUB HARIE

一之鳥居から八幡堀の橋を渡って参道を進みますと、右側には近江八幡が誇る和菓子の名店「たねや」があり、参道をはさんで左側にはたねやの洋菓子部門でバームクーヘンで有名な「CLUB HARIE」があります。いずれも超人気店ですので行列必死です。

たねや
CLUB HARIE

「日牟禮八幡宮」は不思議な逸話も残る歴史ある神社で、城下町と一体となった春を呼ぶ豪壮な火祭「左義長まつり」と「八幡まつり」も斎行される魅力あふれる神社です。近江八幡の街歩きや八幡堀めぐりの際には是非ご参詣ください。

アクセス
JR琵琶湖線近江八幡駅下車 近江鉄道バス長命寺行乗車大杉町バス停にて下車徒歩3分



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