東側参道の桜のトンネル |
花山稲荷神社(かざんいなりじんじゃ)御由緒
名 称
花山稲荷神社(かざんいなりじんじゃ)
御祭神
宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ・稲荷神)
神大市比売大神(かむおおいちひめのおおかみ・宇迦之御魂大神の母)
大土御祖大神(おおつちのみおやのおおかみ・土地田畑の神・導きの神)
創 建
神大市比売大神(かむおおいちひめのおおかみ・宇迦之御魂大神の母)
大土御祖大神(おおつちのみおやのおおかみ・土地田畑の神・導きの神)
創 建
延喜3年(903年)
境内社
・熊丸神社(くままるじんじゃ)
御祭神:速秋津比売大神(はやあきつひめのおおかみ)
:佐田比古大神(さるたひこのおおかみ)
・達光宮(たっこうのみや)
御祭神:市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)
:金山比古大神(かなやまひこのおおかみ)
:金山比売大神(かなやまひめのおおかみ)
:天目一筒大神(あめのまひとつのおおかみ)
・四社神社(ししゃじんじゃ)
御祭神:久久之智大神(くくぬちのおおかみ)
:草野比売大神(かやのひめのおおかみ)
:埴山比売大神(はにやまひめのおおかみ)
:速秋津比売大神(はやあきつひめのおおかみ)
・水分社(みまくりのやしろ)
御祭神:天之水分大神(あめのみまくりのおおかみ)
:国之水分大神(くにのみまくりのおおかみ)
・御塚(おつか・80余社)
御祭神:八百万の神々のごく一部)
・御嶽山御塚(おんたけさんおつか)
御祭神:大国主命(おおくにぬしのみこと)
:少彦主命(すくなひこのみこと)
例祭等
例祭 4月第2日曜日
火焚祭 11月第2日曜日
ご利益
・商売繁盛
・災厄除け
・家屋守護
・導き・交通
・技芸上達
・心願成就(目標達成・必勝祈願・合格祈願)
・風封じ・中風除け
所在地
京都市山科区西野山欠ノ上町65番地
最近、日本刀の魅力にはまった女性「刀剣女子」が増えています。美術館や博物館で日本刀を特別展示する「日本刀展」などが開催されると、「刀剣女子」が入り口に列をなして並ばれます。一昨年(平成30年)京都国立博物館で特別展の「日本刀展」が開催されましたが、その時は「刀剣女子」の列が長すぎて、入館するのに何時間かかるか分からないという状態でした。私は結局入るのをあきらめて帰りました。
この「刀剣女子」のブームは、アニメゲームの「刀剣乱舞」の流行がきっかけとなったようです。「刀剣乱舞」は、名刀・名剣をイケメン男子に擬人化して収集するというストーリーのオンラインゲームです。当神社ゆかりの名刀「小狐丸」もゲームの中で、ジャニーズ系のイケメン男子となって活躍するということです。「刀剣乱舞」は女性を中心に爆発的人気となり、今やミュージカルやアニメ化もされているようです。
で、「花山稲荷神社」も平安時代に「三条小鍛冶宗近」作の名刀「小狐丸」ゆかりの神社ということで、「刀剣女子」が続々と聖地探訪に訪れ、神社もこの人気にあやかっておられるということです。
「花山稲荷神社(かざんいなりじんじゃ)」の御由緒は、平安時代前期の延喜3年(903年)3月頃第60代「醍醐天皇」は、山階に住む外祖父の「藤原高藤(宮道烈子の夫)」の館を訪ねたことに始まります。その時たまたま当地花山付近を通り、この辺りの美しい景色に見とれていたということです。天皇は内裏に帰ったその夜、夢を見ました。夢枕に現われた老人が「私を花山の地に祀れば、永く国民と国土を護るでしょう。」と言ったということです。天皇が夢の中で名を尋ねると「宇迦之御魂(うかのみたま)」と答えてさらに
「跡たれて 光やわらぐ西の山 人の願いを 三つの社に」
という御神詠を繰り返しながら消えたということです。
夢から覚めた天皇は、国民と国土の繁栄と鎮護を願って、御神託のとおりに勅命を出して当地花山の地に上中下の社殿を造営させて、三柱の大神を勧請したということです。
その昔には「西山稲荷」と呼んだそうで、「花山神社」の名は、崇敬の篤かった題65代「花山天皇(かざんてんのう)」の名にちなんだとも、当地の旧名「花山」によるものとも云われています。
時は下って平安時代中期の永延2年(988年)、第66代「一条天皇」は勅命で社殿を再建しました。
更に時は下って平安時代後期の承安4年(1174年)、「平清盛」の嫡子「平重盛」が伏見稲荷に参詣した夜、夢の中で御神託を受け、荒廃していた「花山神社」の南北300mの地を区切って社地と定め、諸社殿を復興しました。
平安時代終期の寿永2年(1183年)には、盗賊に放火され、諸社殿全て焼失し、以降荒廃を極めたということです。
室町時代初期の貞和年中(1340年頃)、京都の篤志家「一色六郎定員」が社殿の復興に力をつくし、室町時代末期の天文年間(1532年頃)から以降は参詣者が絶えることはなく、また民衆の崇敬者も多くなり「稲荷講」も設立されるなど、大いに賑わったということです。
江戸時代前期の元禄14年(1701年)、「忠臣蔵」でヒーローとして演じられた「大石内蔵助」の義兄「進藤源四郎」の寄進により、現在の本殿が建立されました。
三条小鍛冶宗近と名刀「小狐丸」
平安時代中期の第66代「一条天皇」の御代(986年~1011年)、京都の三条白川の辺りに住んでいた刀鍛冶師「小鍛冶六郎宗近(こかじろくろうむねちか)」は、「花山稲荷神社」を崇敬してたびたび参詣していました。三条白川に住んでいたため「三条小鍛冶宗近」とも呼ばれています。
そんな時、時の帝「一条天皇」から「守り刀・名刀を打て」との勅命を受けた「宗近」は
、一世一代の仕事をしようと身を清めて「花山稲荷神社」に祈願し、境内の埴土(はにつち・粘土)でふいごを築いて仕事を始めました。するとどこからともなく三人の童子が現れて、相槌を打って「宗近」を援けました。その相槌の技は子供とは思えないほど立派なもので、忽ち思っていた名刀が打ちあがりました。ところが、三人の童子はいつの間にか姿を消しておりました。「宗近」は「花山稲荷大神」の御加護と考え、この名刀に「小狐丸」と名付けました。現在この名刀「小狐丸」は実在しませんが、室町時代に作られた謡曲「小鍛冶」には、この時の様子が謡われています。
この時の「宗近」の仕事場の跡は聖跡と崇められ、「稲荷塚」と呼ばれるようになり、「宗近」の跡を慕って全国の鍛冶師が参詣したと伝えられています。
「稲荷塚」は弥生時代後期の円墳遺跡と云われ、この上に末社「達光宮」が鎮座しています。「達光宮」は、鍛冶(製鉄)の神様として祀られており、「宗近」が祈願して名刀「小狐丸」を打ち上げたのは、この神様の御神徳であると云われています。
忠臣蔵のヒーロー「大石内蔵助」
「花山稲荷神社」は、歌舞伎や人形浄瑠璃の演目「忠臣蔵」でヒーローとして演じられた「大石内蔵助」にゆかりがあることでも知られています。
忠臣蔵は実際の事件「赤穂事件」を題材として演じられました。「赤穂事件」は江戸時代前期の元禄14年(1701年)赤穂藩の藩主「浅野内匠頭」が、江戸城内松之大廊下で接待指南役の「吉良上野介」に切りつけ、刃傷沙汰に及んだことから、「浅野内匠頭」のみに処分が下り、切腹と御家改易・城の明け渡しを申し渡された事件です。「大石」は当時、赤穂藩の城代家老でしたが、この一方的な処分に憤った家臣らは、翌年の元禄15年(1703年)12月14日、吉良邸に討ち入り「吉良」を討ち果たしました。「大石」は赤穂城の明け渡しの後、「花山稲荷神社」の西方の西野山山麓の「岩屋寺」の前に寓居を構え、同志たちと討ち入りの密談を交わしたということです。
「大石」が山科に住まいしたのは、約1年でしたが、その足跡はいろいろなところにあり、この「花山稲荷神社」にもいくつかの事跡があります。
一つ目は、「大石」が寄進した木製の鳥居です。本殿の真後ろに立てかけてあります。
2つ目は、「大石」が沈思黙考したという「断食石」です。もともとは磐座であったと考えられているそうです。
3つ目は、「大石」が同志の心底を試すために、この石の上で血判を押させたと言われる「血判石」です。
お火炊き祭
11月に催される「お火炊き祭」は、「ふいご祭」とも云われ、もともとは鍛冶師の祭でした。「花山稲荷神社」は、古くから金物の神様としても有名で、「三条小鍛冶宗近」の「小狐丸」の故事にもちなんで、「お火炊き祭」では古くから火炊串を「ふいご」の形に積んで炊きます。
いつの頃からか、「お火炊き祭」の火勢の盛りに、お供えの「みかん」を投げ入れるようになりました。不老長寿の薬、火の神様の力、それらを納得のいく形で体内に治めようとした先人の知恵かもしれません。投げ入れた「みかん」は後で下がり物としていただいて食べ、あるいは皮を煎じて飲むと、風邪封じ・中風除けの効能があると云われています。
境内社
熊丸神社
「花山神社」の左手にある神社で、種々の願い事をしたい人は、先ずこの神様に参拝して、禊祓いを受けるのが本来のあり方だということです。
「速秋津比売大神」は海の神様、「佐田比古大神」は土地田畑の神様・お導きの神様・交通の神様です。
達光宮
「市杵島比売大神」は交通安全と交易の守護神・商売繁盛・芸能技芸上達・弁舌上達の神様で、「金山比古大神」と「金山比売大神」は金属・鍛冶精錬・鉱工業の守護神です。「天目一筒大神」は鍛冶に必須のふいごを神格化した神様です。境内社
・熊丸神社(くままるじんじゃ)
御祭神:速秋津比売大神(はやあきつひめのおおかみ)
:佐田比古大神(さるたひこのおおかみ)
・達光宮(たっこうのみや)
御祭神:市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)
:金山比古大神(かなやまひこのおおかみ)
:金山比売大神(かなやまひめのおおかみ)
:天目一筒大神(あめのまひとつのおおかみ)
・四社神社(ししゃじんじゃ)
御祭神:久久之智大神(くくぬちのおおかみ)
:草野比売大神(かやのひめのおおかみ)
:埴山比売大神(はにやまひめのおおかみ)
:速秋津比売大神(はやあきつひめのおおかみ)
・水分社(みまくりのやしろ)
御祭神:天之水分大神(あめのみまくりのおおかみ)
:国之水分大神(くにのみまくりのおおかみ)
・御塚(おつか・80余社)
御祭神:八百万の神々のごく一部)
・御嶽山御塚(おんたけさんおつか)
御祭神:大国主命(おおくにぬしのみこと)
:少彦主命(すくなひこのみこと)
例祭等
例祭 4月第2日曜日
火焚祭 11月第2日曜日
ご利益
・商売繁盛
・災厄除け
・家屋守護
・導き・交通
・技芸上達
・心願成就(目標達成・必勝祈願・合格祈願)
・風封じ・中風除け
所在地
京都市山科区西野山欠ノ上町65番地
最近、日本刀の魅力にはまった女性「刀剣女子」が増えています。美術館や博物館で日本刀を特別展示する「日本刀展」などが開催されると、「刀剣女子」が入り口に列をなして並ばれます。一昨年(平成30年)京都国立博物館で特別展の「日本刀展」が開催されましたが、その時は「刀剣女子」の列が長すぎて、入館するのに何時間かかるか分からないという状態でした。私は結局入るのをあきらめて帰りました。
この「刀剣女子」のブームは、アニメゲームの「刀剣乱舞」の流行がきっかけとなったようです。「刀剣乱舞」は、名刀・名剣をイケメン男子に擬人化して収集するというストーリーのオンラインゲームです。当神社ゆかりの名刀「小狐丸」もゲームの中で、ジャニーズ系のイケメン男子となって活躍するということです。「刀剣乱舞」は女性を中心に爆発的人気となり、今やミュージカルやアニメ化もされているようです。
で、「花山稲荷神社」も平安時代に「三条小鍛冶宗近」作の名刀「小狐丸」ゆかりの神社ということで、「刀剣女子」が続々と聖地探訪に訪れ、神社もこの人気にあやかっておられるということです。
花山神社 本殿鳥居 |
「跡たれて 光やわらぐ西の山 人の願いを 三つの社に」
という御神詠を繰り返しながら消えたということです。
夢から覚めた天皇は、国民と国土の繁栄と鎮護を願って、御神託のとおりに勅命を出して当地花山の地に上中下の社殿を造営させて、三柱の大神を勧請したということです。
その昔には「西山稲荷」と呼んだそうで、「花山神社」の名は、崇敬の篤かった題65代「花山天皇(かざんてんのう)」の名にちなんだとも、当地の旧名「花山」によるものとも云われています。
拝殿 |
更に時は下って平安時代後期の承安4年(1174年)、「平清盛」の嫡子「平重盛」が伏見稲荷に参詣した夜、夢の中で御神託を受け、荒廃していた「花山神社」の南北300mの地を区切って社地と定め、諸社殿を復興しました。
拝殿と廊下の奥が本殿 |
室町時代初期の貞和年中(1340年頃)、京都の篤志家「一色六郎定員」が社殿の復興に力をつくし、室町時代末期の天文年間(1532年頃)から以降は参詣者が絶えることはなく、また民衆の崇敬者も多くなり「稲荷講」も設立されるなど、大いに賑わったということです。
江戸時代前期の元禄14年(1701年)、「忠臣蔵」でヒーローとして演じられた「大石内蔵助」の義兄「進藤源四郎」の寄進により、現在の本殿が建立されました。
側方から見た本殿 「稲荷大明神」の扁額が掲げられています |
三条小鍛冶宗近と名刀「小狐丸」
平安時代中期の第66代「一条天皇」の御代(986年~1011年)、京都の三条白川の辺りに住んでいた刀鍛冶師「小鍛冶六郎宗近(こかじろくろうむねちか)」は、「花山稲荷神社」を崇敬してたびたび参詣していました。三条白川に住んでいたため「三条小鍛冶宗近」とも呼ばれています。
そんな時、時の帝「一条天皇」から「守り刀・名刀を打て」との勅命を受けた「宗近」は
、一世一代の仕事をしようと身を清めて「花山稲荷神社」に祈願し、境内の埴土(はにつち・粘土)でふいごを築いて仕事を始めました。するとどこからともなく三人の童子が現れて、相槌を打って「宗近」を援けました。その相槌の技は子供とは思えないほど立派なもので、忽ち思っていた名刀が打ちあがりました。ところが、三人の童子はいつの間にか姿を消しておりました。「宗近」は「花山稲荷大神」の御加護と考え、この名刀に「小狐丸」と名付けました。現在この名刀「小狐丸」は実在しませんが、室町時代に作られた謡曲「小鍛冶」には、この時の様子が謡われています。
謡曲「小鍛冶」(資料画像Wikipedia) |
この時の「宗近」の仕事場の跡は聖跡と崇められ、「稲荷塚」と呼ばれるようになり、「宗近」の跡を慕って全国の鍛冶師が参詣したと伝えられています。
「稲荷塚」は弥生時代後期の円墳遺跡と云われ、この上に末社「達光宮」が鎮座しています。「達光宮」は、鍛冶(製鉄)の神様として祀られており、「宗近」が祈願して名刀「小狐丸」を打ち上げたのは、この神様の御神徳であると云われています。
達光宮 瑞垣の中が稲荷塚 |
忠臣蔵のヒーロー「大石内蔵助」
「花山稲荷神社」は、歌舞伎や人形浄瑠璃の演目「忠臣蔵」でヒーローとして演じられた「大石内蔵助」にゆかりがあることでも知られています。
忠臣蔵は実際の事件「赤穂事件」を題材として演じられました。「赤穂事件」は江戸時代前期の元禄14年(1701年)赤穂藩の藩主「浅野内匠頭」が、江戸城内松之大廊下で接待指南役の「吉良上野介」に切りつけ、刃傷沙汰に及んだことから、「浅野内匠頭」のみに処分が下り、切腹と御家改易・城の明け渡しを申し渡された事件です。「大石」は当時、赤穂藩の城代家老でしたが、この一方的な処分に憤った家臣らは、翌年の元禄15年(1703年)12月14日、吉良邸に討ち入り「吉良」を討ち果たしました。「大石」は赤穂城の明け渡しの後、「花山稲荷神社」の西方の西野山山麓の「岩屋寺」の前に寓居を構え、同志たちと討ち入りの密談を交わしたということです。
「大石」が山科に住まいしたのは、約1年でしたが、その足跡はいろいろなところにあり、この「花山稲荷神社」にもいくつかの事跡があります。
一つ目は、「大石」が寄進した木製の鳥居です。本殿の真後ろに立てかけてあります。
大石内蔵助寄進の木製鳥居 |
3つ目は、「大石」が同志の心底を試すために、この石の上で血判を押させたと言われる「血判石」です。
お火炊き祭
11月に催される「お火炊き祭」は、「ふいご祭」とも云われ、もともとは鍛冶師の祭でした。「花山稲荷神社」は、古くから金物の神様としても有名で、「三条小鍛冶宗近」の「小狐丸」の故事にもちなんで、「お火炊き祭」では古くから火炊串を「ふいご」の形に積んで炊きます。
いつの頃からか、「お火炊き祭」の火勢の盛りに、お供えの「みかん」を投げ入れるようになりました。不老長寿の薬、火の神様の力、それらを納得のいく形で体内に治めようとした先人の知恵かもしれません。投げ入れた「みかん」は後で下がり物としていただいて食べ、あるいは皮を煎じて飲むと、風邪封じ・中風除けの効能があると云われています。
境内社
熊丸神社
「花山神社」の左手にある神社で、種々の願い事をしたい人は、先ずこの神様に参拝して、禊祓いを受けるのが本来のあり方だということです。
「速秋津比売大神」は海の神様、「佐田比古大神」は土地田畑の神様・お導きの神様・交通の神様です。
熊丸神社 |
熊丸神社 本殿 |
達光宮 |
「久久之智大神」は木の神様、「草野比売大神」は草木・家屋の神様、「埴山比売大神」は土や肥料の神様、「速秋津比売大神」は海の神様です。
四社神社 |
全ての生命の根源である水の神様、製紙・染色業の守護神です。
水分社 |
八百万の神々のごく一部をお祀りしています。
御塚 |
病気平癒の神様です。
御嶽山御塚 |
名刀「小狐丸」の人気から、最近女性の聖地巡りの参詣者が多いとのことですが、境内の稲荷社の数はすごいものです。さまざまな祈願やお礼を込めて建立されているのでしょうが、特に御塚に入り込むと幻想的な景色に感じられます。住宅街の只中に鎮座する神社は庶民の願いをきっと聞いていただけるでしょう。
アクセス
京都市営地下鉄東西線 東野駅下車 西方へ徒歩約25分
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