小椋神社 一之鳥居 |
名 称
小椋神社(おぐらじんじゃ)
御祭神
闇淤加美神(くらおかみのかみ・闇龗神)
猿田彦神(さるたひこのかみ)
猿田彦神(さるたひこのかみ)
創 建
天智天皇6年(667年) 小椋神社 創祀
天安2年(858年) 大宮神社 創祀
貞観元年(859年) 小椋神社 当地へ遷座
御神紋
左三ツ巴
社格等
式内社・旧県社
境内社
・大宮神社 御祭神:伊弉那美神(いざなみのかみ)
・若宮神社 御祭神:雅日女神(わかひるめのかみ)
・新宮神社 御祭神:少彦名神(すくなひこなのかみ)
・今宮神社 御祭神:大穴持神(おおなむぢのかみ)
・春日神社
・菅原神社
・祓戸神社
・多賀神社
・塚本神社
・仰霊社
・人力稲荷神社
・神明神社
・子安神社
・瀧宮神社
例大祭
仰木泥田祭 (5月3日)
別 名
五社大権現(大明神)・田所神社(たどころじんじゃ)
ご利益
・小椋神社 祈雨・止雨・灌漑
・大宮神社 夫婦円満・子宝
・若宮神社 殖産・家内安全
・新宮神社 無病息災
・今宮神社 縁結び
所在地
滋賀県大津市仰木4-38-55
飛鳥時代の天智天皇6年(667年)、中大兄皇子(天智天皇)が大津市錦織の地に「近江大津京」を開いて遷都した際に、「加太夫(嘉太夫)仙人(かたゆうせんにん)」という行者が随従してきました。加太夫仙人は「小椋神社」の奥の仰木峠の麓に社を造営して、大和国の葛城山(現在の東吉野村)に鎮座していた「丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)」から「闇淤加美神(くらおかみのかみ)」を分霊して勧請してお祀りしました。これが「小椋神社(おぐらじんじゃ)」の創祀だと云われています。加太夫仙人は、天智天皇が崩御後も当地に残り仰木の里に住んで、社を守ったということです。
平安時代初期の天安2年(858年)、第55代文徳天皇の皇子「惟喬親王(これたかしんのう)」が当地に「大宮神社」を創祀しました。
平安時代初期の貞観元年(859年)、伊香立の地に荘園を開いていた「源融(みなもとのとおる・源氏物語の光源氏の実在モデル)」が、滝壺の社の「闇淤加美神」を現在の社地に遷座し「小椋神社」として創建しました。これによって仰木の里は開け、農業も盛んになったということです。なお、滝壺に鎮座していた社は、現在も元の地に「滝壺神社(たきつぼじんじゃ)」として鎮座し、「小椋神社」の奥宮として祀られています。
その後、平安時代前期の延喜2年(902年)、第60代醍醐天皇の御代に「小椋神社」の神告により、「若宮神社」が祀られました。
平安時代前期の延喜8年(908年)、延喜式が制定され、「小椋神社」は「式内社」に列せられました。
鎌倉時代初期、後鳥羽天皇の御代の建久元年(1190年)、境内の奥のやや高いところに日吉神社の摂社「十禅師明神」と「石居明神」とを祀り、前者を「新宮神社」、後者を「今宮神社」と称しました。
「小椋神社」、「大宮神社」、「若宮神社」、「新宮神社」、「今宮神社」を総称して、中世には「五社大権現(大明神)」とも呼ばれ、人々の崇敬を集めました。
「小椋神社」はこれより以降は「田所神社(たどころじんじゃ)」と称し、産土神として、益々人々の崇敬を集めました。
本殿は、一間社流造で間口1間、奥行5尺です。
仰木の地は、江戸時代初期の慶安2年(1649年)、第108代後水尾天皇の第5皇女「賀子内親王(よしこないしんのう)」の領地となり、皇女は「小椋神社」を篤く信仰し、一之鳥居と石橋等を寄進しました。
「小椋神社」の社名は「田所神社」となっていましたが、昭和20年(1945年)現在の社名「小椋神社」に戻されました。
境内には、一之鳥居に掲げられていた旧社名「田所神社」の扁額が飾られています。
拝殿
拝殿は、入母屋造、間口3間、奥行3間3尺です。
境内摂社末社他
祓戸神社
仰霊社
神力稲荷神社
神明神社(天照大神、豊受大神)
地蔵菩薩
神輿庫
手水舎
仰木泥田祭
毎年5月3日に催される例大祭「仰木祭」は別名「仰木泥田祭」とも呼ばれ、平安時代後期に仰木の地に移り、約10年間住んだ清和源氏の二代目「源満仲(みなもとのみつなか)」を偲ぶ古式行事が行われ、流鏑馬や五社の神輿の巡幸が行われます。
矢巻きのおみくじ
「おみくじ」は流鏑馬の矢にちなんで矢に巻き付けて、境内の縄に結びます。
境内案内図
「小椋神社」は、歴史と由緒ある格式高い神社で、境内も大変に趣のある神社です。桜の季節に訪れるのもいいですかね。できれば奥宮の「滝壺神社」にも参拝したいものです。
アクセス
JR湖西線堅田駅下車 江若交通バス上仰木行乗車 辻バス停下車徒歩約4分
JR湖西線雄琴温泉駅下車 徒歩にて約35分
天安2年(858年) 大宮神社 創祀
貞観元年(859年) 小椋神社 当地へ遷座
御神紋
左三ツ巴
社格等
式内社・旧県社
境内社
・大宮神社 御祭神:伊弉那美神(いざなみのかみ)
・若宮神社 御祭神:雅日女神(わかひるめのかみ)
・新宮神社 御祭神:少彦名神(すくなひこなのかみ)
・今宮神社 御祭神:大穴持神(おおなむぢのかみ)
・春日神社
・菅原神社
・祓戸神社
・多賀神社
・塚本神社
・仰霊社
・人力稲荷神社
・神明神社
・子安神社
・瀧宮神社
例大祭
仰木泥田祭 (5月3日)
別 名
五社大権現(大明神)・田所神社(たどころじんじゃ)
ご利益
・小椋神社 祈雨・止雨・灌漑
・大宮神社 夫婦円満・子宝
・若宮神社 殖産・家内安全
・新宮神社 無病息災
・今宮神社 縁結び
所在地
滋賀県大津市仰木4-38-55
趣のある参道 |
平安時代初期の天安2年(858年)、第55代文徳天皇の皇子「惟喬親王(これたかしんのう)」が当地に「大宮神社」を創祀しました。
平安時代初期の貞観元年(859年)、伊香立の地に荘園を開いていた「源融(みなもとのとおる・源氏物語の光源氏の実在モデル)」が、滝壺の社の「闇淤加美神」を現在の社地に遷座し「小椋神社」として創建しました。これによって仰木の里は開け、農業も盛んになったということです。なお、滝壺に鎮座していた社は、現在も元の地に「滝壺神社(たきつぼじんじゃ)」として鎮座し、「小椋神社」の奥宮として祀られています。
小椋神社 |
平安時代前期の延喜8年(908年)、延喜式が制定され、「小椋神社」は「式内社」に列せられました。
鎌倉時代初期、後鳥羽天皇の御代の建久元年(1190年)、境内の奥のやや高いところに日吉神社の摂社「十禅師明神」と「石居明神」とを祀り、前者を「新宮神社」、後者を「今宮神社」と称しました。
「小椋神社」、「大宮神社」、「若宮神社」、「新宮神社」、「今宮神社」を総称して、中世には「五社大権現(大明神)」とも呼ばれ、人々の崇敬を集めました。
「小椋神社」はこれより以降は「田所神社(たどころじんじゃ)」と称し、産土神として、益々人々の崇敬を集めました。
本殿 拝所 |
中央「小椋神社本殿」左「菅原神社」右「春日神社」 |
大宮神社 |
若宮神社 |
左「今宮神社」右「新宮神社」 |
本殿前の「五社大権現」の碑 |
初代「一之鳥居」 |
石橋 |
境内には、一之鳥居に掲げられていた旧社名「田所神社」の扁額が飾られています。
「田所神社」の扁額 |
拝殿
拝殿は、入母屋造、間口3間、奥行3間3尺です。
大杉と拝殿 |
拝殿 |
祓戸神社
祓戸神社 |
多賀神社・塚本神社
左「塚本神社」右「多賀神社」 |
仰霊社
仰霊社 |
神力稲荷神社 |
神明神社 |
地蔵菩薩 |
神輿庫 |
手水舎 |
仰木泥田祭
毎年5月3日に催される例大祭「仰木祭」は別名「仰木泥田祭」とも呼ばれ、平安時代後期に仰木の地に移り、約10年間住んだ清和源氏の二代目「源満仲(みなもとのみつなか)」を偲ぶ古式行事が行われ、流鏑馬や五社の神輿の巡幸が行われます。
矢巻きのおみくじ
「おみくじ」は流鏑馬の矢にちなんで矢に巻き付けて、境内の縄に結びます。
矢巻きのおみくじ |
境内案内図
境内案内図 |
アクセス
JR湖西線堅田駅下車 江若交通バス上仰木行乗車 辻バス停下車徒歩約4分
JR湖西線雄琴温泉駅下車 徒歩にて約35分
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