名 称
八所神社(はっしょじんじゃ)
御祭神
大己貴命(おおなむちのみこと・国作りの神・大国主神)
菊理比売命(くくりひめのかみ・全国の白山神社に祀られる白山比咩神)[配祀神]
菅原道真公(すがわらみちざねこう・平安時代の貴族・学問の神)
創 基
白鳳2年(673年)
境内社(摂社・末社)
・八坂神社
・多賀神社
・白髭神社
・神明神社
・松尾神社
・八幡神社
・磐滝神社
・稲荷神社
御神紋
右三ッ巴・五三桐
例大祭
5月5日
ご利益
金運・縁結び・学業成就・技芸芸能上達
所在地
滋賀県大津市伊香立下在地町1316
「蘇我入鹿」等の政敵を一掃して政治改革を断行し、「大化の改新」を推し進めた「中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)」は、母親の第37代「斉明天皇」が崩御の後も皇位を継承せず、皇太子のまま称制(天智天皇元年・662年)し、政治改革を進めました。その後、天智天皇2年(663年)朝鮮半島の白村江の戦いで大敗を喫し、外政的に苦戦が続く中、唐に遣唐使を派遣する一方で、外敵に対して安全な要害の地へ都を遷すべく、天智天皇6年(667年)近江国滋賀国の大津に「近江大津京」を造営して遷都しました。そして翌年の天智天皇7年(668年)、大津の地でようやく第38代「天智天皇」として即位しました。
境内社(摂社・末社)
・八坂神社
・多賀神社
・白髭神社
・神明神社
・松尾神社
・八幡神社
・磐滝神社
・稲荷神社
御神紋
右三ッ巴・五三桐
例大祭
5月5日
ご利益
金運・縁結び・学業成就・技芸芸能上達
所在地
滋賀県大津市伊香立下在地町1316
参道の階段 |
この「近江大津京」への遷都の大事業に際し、オブザーバーとして「中大兄皇子」を支え、また朝廷の高官として「近江大津京」に随従した「平群飛鳥の真人(へぐりあすかのまひと)」は、赴任に際してここ伊香立の地を「食邑地(しょくゆうち・支配地)」として授けられました。
白鳳1年(672年)、「天智天皇」は病から崩御し、その後の皇位継承をめぐって天智天皇の皇子の「大友皇子(第39代弘文天皇)」と、天智天皇の弟の「大海人皇子(後の第40代天武天皇)」が争う「壬申の乱(じんしんのらん)」が勃発しましたが、ここ伊香立の地に難は及びませんでした。
白鳳2年(673年)、「飛鳥の真人」は、祖先の「天大吉備諸進命(あめのおおきびもろすすめのみこと)」の神璽を氏神として勧請し、社殿を造営しました。これが「八所神社」の創基とされています。
その後、「飛鳥の真人」の後裔の「平群兼房(へぐりかねふさ)」が、「天照大神」「伊弉岐命」「伊邪那美命」「大山咋命」「市杵島比売命」「倉稲魂命」「崇神天皇」と七柱の大神を合祀したことから「八所神社」と称することになりました。
元亀2年(1571年)、織田信長の比叡山延暦寺焼き討ちの際、比叡山麓の坂本「日吉大社」も類焼しましたので、「日吉大社」の祢宜で「生源寺」の「宿禰行丸(すくねいくまる)」が、「日吉山王」の御神璽を奉持して「八所神社」に避難しました。ところが「八所神社」も類焼したため、更に北志賀の北船路の「八所神社」へと再度避難しました。
その後、焼亡した社殿は逸早く復興しましたが、「日吉大社」の復興は遅れましたので、「宿禰行丸」は「八所神社」に仮殿を設けて「山王七社」の神を祀り、盛大に山王祭を斎行しました。この縁由により「日吉大社」の御祭神「大己貴命」と「菊理比売命」の二柱の大神を分霊して本殿に祭祀しました。これが故に従来本殿に祭祀されていた御祭神を境内社としてお祀りしました。
その後、明治45年(1912年)「菅原道真」公を「八所神社」に合祀しました。
拝 殿
白鳳2年(673年)、「飛鳥の真人」は、祖先の「天大吉備諸進命(あめのおおきびもろすすめのみこと)」の神璽を氏神として勧請し、社殿を造営しました。これが「八所神社」の創基とされています。
その後、「飛鳥の真人」の後裔の「平群兼房(へぐりかねふさ)」が、「天照大神」「伊弉岐命」「伊邪那美命」「大山咋命」「市杵島比売命」「倉稲魂命」「崇神天皇」と七柱の大神を合祀したことから「八所神社」と称することになりました。
元亀2年(1571年)、織田信長の比叡山延暦寺焼き討ちの際、比叡山麓の坂本「日吉大社」も類焼しましたので、「日吉大社」の祢宜で「生源寺」の「宿禰行丸(すくねいくまる)」が、「日吉山王」の御神璽を奉持して「八所神社」に避難しました。ところが「八所神社」も類焼したため、更に北志賀の北船路の「八所神社」へと再度避難しました。
その後、焼亡した社殿は逸早く復興しましたが、「日吉大社」の復興は遅れましたので、「宿禰行丸」は「八所神社」に仮殿を設けて「山王七社」の神を祀り、盛大に山王祭を斎行しました。この縁由により「日吉大社」の御祭神「大己貴命」と「菊理比売命」の二柱の大神を分霊して本殿に祭祀しました。これが故に従来本殿に祭祀されていた御祭神を境内社としてお祀りしました。
その後、明治45年(1912年)「菅原道真」公を「八所神社」に合祀しました。
拝 殿
拝殿 |
本 殿
本殿の門と玉垣
本殿は、階段を上がった門と朱色の玉垣に囲まれています。
本殿の門と玉垣 |
本殿は左右に二社あります。
右側本殿 大宮(御祭神:大己貴命)
大宮 |
左側本殿 二之宮(御祭神:菊理比売命・菅原道真公)
二之宮 |
木造狛犬
本殿二社には、木造の狛犬が配置されています。
木造狛犬 |
境内社(摂社・末社)
八坂神社
本殿本宮の右側に八坂神社が鎮座しています。創基時に主祭神として本殿に祀られ、「日吉大社」の御祭神を本殿にお祀りした際に境内社に移された「天大吉備諸進命」は、この社に配祀されているのでしょうか。
多賀神社・白髭神社
二之宮の左には、多賀神社と白髭神社が鎮座しています。
合社殿
二之宮の左前方に四社が合祀された合社殿が鎮座しています。左社には磐滝神社と八幡神社、中央社には松尾神社と平尾神社と日吉神社、右社には愛宕神社と道陸神社と神明神社が鎮座しています。(神社の由緒書に記載されていた境内社より多くの神様がお祀りされています。)
稲荷神社(稲荷大明神)
稲荷神社には「正一位」の神階が付与されています。
その他
社務所
手水舎
御神木の切り株
御神木であったと思しき大木の切り株が飾られていました。
延宝9年(1681年)寄進と記載された江戸時代前期の境内図が展示されています。現在の境内社の配置と少し異なっています。
5月5日の春の例祭日には、神輿が地区内を廻り盛大なお祭が斎行され、また10月2日の秋の例祭日には伊香立の5ヶ地区の人々がお囃子を奏でながら行列を組んで「八所神社」参集し、その後子供たちが花笠を付けて行う「囃子奉納」など賑やかなお祭もあり、「八所神社」は地区になくてはならない神社となっています。
アクセス
JR湖西線堅田駅下車 江若交通バス途中他行に乗車 下在地バス停下車すぐ
本殿本宮の右側に八坂神社が鎮座しています。創基時に主祭神として本殿に祀られ、「日吉大社」の御祭神を本殿にお祀りした際に境内社に移された「天大吉備諸進命」は、この社に配祀されているのでしょうか。
八坂神社 |
二之宮の左には、多賀神社と白髭神社が鎮座しています。
多賀神社・白髭神社 |
二之宮の左前方に四社が合祀された合社殿が鎮座しています。左社には磐滝神社と八幡神社、中央社には松尾神社と平尾神社と日吉神社、右社には愛宕神社と道陸神社と神明神社が鎮座しています。(神社の由緒書に記載されていた境内社より多くの神様がお祀りされています。)
合社殿 |
稲荷神社には「正一位」の神階が付与されています。
その他
社務所
社務所 |
手水舎 |
御神木であったと思しき大木の切り株が飾られていました。
御神木の切り株 |
江戸時代の境内図
延宝9年(1681年)寄進と記載された江戸時代前期の境内図が展示されています。現在の境内社の配置と少し異なっています。
江戸時代の境内図 |
5月5日の春の例祭日には、神輿が地区内を廻り盛大なお祭が斎行され、また10月2日の秋の例祭日には伊香立の5ヶ地区の人々がお囃子を奏でながら行列を組んで「八所神社」参集し、その後子供たちが花笠を付けて行う「囃子奉納」など賑やかなお祭もあり、「八所神社」は地区になくてはならない神社となっています。
アクセス
JR湖西線堅田駅下車 江若交通バス途中他行に乗車 下在地バス停下車すぐ
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