2020年4月20日月曜日

滋賀県栗東市の「大宝神社」は宝くじのパワースポットとして隠れたブームです

滋賀県栗東市の「大宝神社(だいほうじんじゃ)」は、旧中山道の街道沿いの「綣(へそ)」という名前の地に鎮座しています。「大宝元年(701年)」の創建で、当時流行った疫病を鎮めるため、「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」を御祭神にお祀りした歴史と由緒のある神社です。最近では神社の名前から「大きな宝」のパワーを求めて、多くの宝くじファンが参詣しています。

中山道沿いの参道入り口
大宝神社(だいほうじんじゃ)御由緒 

名 称
大宝神社(だいほうじんじゃ)

御祭神 
素戔嗚尊(すさのおのみこと・伊弉諾尊と伊弉冉尊の子で天照大神の弟)

創 基
大宝元年(701年)

境内社(摂社・末社)
・追来神社(おふきじんじゃ・大宝年間以前に創基の産土神)
 御祭神:多々美彦命(たたみひこのみこと)
・稲田姫神社
・伊勢両大神宮
・八幡蛭子神社
・大国主神社
・稲荷神社
・市杵嶋神社
・日吉神社
他24社

御神紋
左三ッ巴

例大祭
5月4日
10月5日(そうもく・相撲祭)

文化財他
・木造狛犬一対(12世紀末・国指定重要文化財・京都国立博物館に寄託) 
・追来神社本殿(鎌倉時代・国指定重要文化財)
・大木造狛犬(14世紀・県指定文化財・栗東歴史民俗博物館に寄託)
・稲田姫神社本殿(安土桃山時代・栗東市指定文化財)
・拝殿(室町時代・栗東市指定文化財)

ご利益
方除・厄除・健康・開運(最近パワースポットとして評判)

所在地
滋賀県栗東市綣7丁目5番5号

本殿
「大宝神社(だいほうじんじゃ)」は、飛鳥時代の文武天皇(大宝律令制定)大宝元年(701年)に疫病が流行した時、小平井村信濃堂(現在の栗東市小平井)に降臨された「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」「稲田姫命(いなだひめのみこと)」を霊仙寺村(現在の栗東市霊仙寺)に遷した後、綣村(現在地)の「追来神社(おふきじんじゃ)」境内に4月8日に遷して鎮座しました。このことにより当時流行った疫病は鎮まったということです。この時の御神徳から、「方除・厄除・健康」を祈願して参詣する人が絶えないということです。

令和2年世界的大流行の新型コロナウィルスの疫病が鎮まりますよう、「大宝神社」の御神徳に祈るばかりです。

同年の大宝元年5月1日、鎮座地の社名を「大宝天王宮(だいほうてんのうぐう)」と勅定され、正一位(神階の最高位)に任ぜられました。

その翌年大宝2年から疫病が再び流行ることのないようにとの願いから、疫病が流行る初夏に祭礼日を定めることとし、4月初めの子の日(現在は5月4日)を例大祭と定め、以降毎年祈願してきました。同年大宝2年3月12日には、「今宮応天大神宮(いまみやおうてんだいじんぐう)」の神号が勅定されました。

四脚門に掲げられた扁額「今宮応天大神宮」
その後の貞観年間(858年~867年)以降、密教天台宗融合の「両部神道(神仏習合)」となりました。

中世(平安時代~室町時代)には、「例大祭」「相撲祭(そうこくさい)」「雨乞い儀式」等の祭礼は、近郷の50余郷の氏子圏に及んで盛大に斎行されていました。境内の社殿も本殿を中心に境内社34社、建物は神宮寺の様式で三重塔・護摩堂・薬師堂・神楽堂・鐘楼堂・経堂等が建ち並び荘厳な境内であったと正徳3年(1713年)の資料から伺い知ることができます。

拝殿
本殿 拝所
本殿
永享5年(1433年)、室町幕府第6代将軍「足利義教(あしかがよしのり)」より神領311石を寄進されますが、その後の「永禄の変(1565年)」の兵乱により50余郷の氏子も次第に減じて、32箇村となりました。

その後さらに元亀2年(1571年)、織田信長の比叡山延暦寺焼き討ちの際、311石の社領は上地となり、社殿のみが残りました。

寛文6年(1629年)、江戸幕府将軍徳川家は綣村を渡辺山城守の所領とし、境内社の日吉神社の灯明田として一反歩の寄進があり、その後の社殿建立や修復を子孫に継いで怠らなかったと云います。

享保元年(1716年)、京都の尼門跡寺院「宝鏡寺(ほうきょうじ)」宮の親王の病気平癒祈願を「大宝神社」に依頼され、御祈祷により快癒されたということで、そのお礼として「四脚門両築地付」を寄進されました。

四脚門両築地付
慶応4年(1868年)の「大政奉還」により、明治新政府より「神仏分離令」が発布されたため、「時宗大宝山仏眼寺」を分離、神應院の院号を破棄して、社名を「大宝神社」と改めました。「仏眼寺」はこの時、「大宝神社」の境内から、中山道を挟んだ向かいの地に移転しています。

「大宝神社」となった後も氏子区域は広く、各大字に境外社が38社あり、地域の中心社としての面目躍如の存在となっています。


追来神社

「追来神社(おふきじんじゃ)」は、産土神として大宝年間以前、つまり「大宝神社」創基以前より、この「綣」の地に鎮座されています。湖北の伊吹山に座す「多々美彦命(たたみひこのみこと)」が御祭神で、中世には「若宮権現(わかみやごんげん)」とも呼ばれ、現在もその通称で呼ばれています。地主神でありながら、後から鎮座した「大宝神社」本殿が主祭神となっているため、境内社の位置付けとなっています。現在の社殿は、鎌倉時代に造営され国指定重要文化財に指定されています。

追来神社

相撲祭

「相撲祭(そうもくさい)」は、栗東市北中小路と守山二町の水利権争いに端を発して、その当時の「大宝神社」の神主が仲裁をして、両村の子どもたちに相撲をとらせて円満に解決したという故事に由来して毎年10月5日に相撲祭を斎行しているものです。

祭では両村双方の子どもは三番勝負をして、それぞれが一勝して三番に入ると、途中で行事が「待った」と勝負を止めて「この勝負は来年に預け置く」と声を掛けます。この神事相撲は現在も同じ形で伝承されていますが、互いを勝たせ最後に勝負を持ち越す方法も現在も続いており、決着をつけずに双方に遺恨を残さないという先人の知恵が現在も継承されています。

※水利権とは、農業にとって欠くことのできない水路に流れる水を、自分たちの田畑にどの時期にどれだけ引くかというのは、今も昔も変わらない農家にとっての大きな課題ですが、この水を引くための権利を水利権と云います。昔はこの水利権をめぐって血で血を洗う戦いもあったということです。

相撲祭の土俵

松尾芭蕉と綣村

「大宝神社」境内の「大宝公園」の一画に、江戸時代前期の俳人「松尾芭蕉」の句碑があります。「松尾芭蕉」は、元禄3年(1690年)頃、関東・北陸方面に旅をした帰りに「綣村」の立場(休息所)に足をとどめて、旅の余韻と惜春の情を託して詠まれた句であると云われています。

「へそむらの 麦まだ青し 春のくれ」 

綣村ののどかな田園風景が目に浮かぶような句です。

芭蕉の句碑

宝くじで大宝神社

最近「大宝神社」の社名から、「大」きな「宝」へのご利益を祈願すべく参詣者が増えています。ぼちぼち当選者も出てきているようです。
JR栗東駅前の宝くじ売り場「大宝店」で宝くじを買って、それを持って「大宝神社」に参詣してご利益を祈願しましょう。

宝くじの「大宝店」では「大宝神社」の「絵馬」を代理で授けていただけるそうで、宝くじを買うと同時に「絵馬」に祈り事を書いて「大宝神社」に奉納・祈願してパワーを授かりましょう。

きっと、いいことがあるでしょう。


境内社(摂社・末社)

稲田姫神社

稲田姫神社
伊勢両大神宮(天照皇大神・豊受大神)

伊勢両大神宮
八幡蛭子神社・大国主神社

左「八幡蛭子神社」右「大国主神社」
稲荷神社

稲荷神社
日吉神社

日吉神社
愛宕神社

愛宕神社
境内その他

御神木(楠の木の大木)

楠ノ木
社務所

社務所
手水舎

手水舎
さすが栗東 馬の銅像

栗東市には、JRAの「栗東トレーニングセンター」があります。これに関連してか、流鏑馬神事の「馬」の銅像が奉納されています。

馬の銅像

歴史と由緒を感じられ、ご利益も「方除・厄除・健康」だけでなく、「開運(宝くじ)」にも御神徳を賜りたい皆様、是非ご参詣ください。

アクセス
JR琵琶湖線 栗東駅下車 徒歩にて10分




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