2020年4月17日金曜日

大津市伊香立の「融神社」の御祭神は源氏物語の光源氏のモデル「源融」です

大津市伊香立は、現在も田園風景の広がるのどかな里山の地ですが、京都大原から山一つ越えた地ということもあり、古来より歴史のなかで名を残してきた地でもあります。「融神社(とおるじんじゃ)」は、平安時代前期に当地に荘園を構えていた嵯峨天皇の第18皇子「源融(みなもとのとおる)」をお祀りしています。「源融」は紫式部が書いた「源氏物語」の「光源氏(ひかるげんじ)」の実在のモデルとされています。

一之鳥居
融神社(とおるじんじゃ)御由緒 

名 称
融神社(とおるじんじゃ)

御祭神 
正一位 河原左大臣 源融(みなもとのとおる・嵯峨天皇の第八皇子)
(配祀神)
・大原全子(おおはらのぜんし・融公の母)
・大山咋神(おおやまくいのかみ・山の神)

創 基
朱雀天皇天慶8年(945年)

境内社(摂社・末社)
・八幡神社
・諏訪神社
・多賀神社
・松尾神社
・春日神社
・稚姫神社
・愛宕神社
・神明神社
・稲荷神社
・若宮神社
・出雲大社
・大己貴神社(おおなむちじんじゃ)

御神紋
十七枚菊

例大祭
4月29日

所在地
滋賀県大津市伊香立南庄牟禮の岡山1846

「融神社(とおるじんじゃ)」は、平安時代初期の天皇「第五十二代嵯峨天皇」の第八皇子で、世界的女流作家「紫式部」が書いた「源氏物語」の主人公「光源氏(ひかるげんじ)」の実在のモデルとされる「源融(みなもとのとおる)」をお祀りする全国唯一の神社です。

「源融」は「河原左大臣」として、小倉百人一首の第14番の詠み人として知られています。恋に悩む心のうちを詠んでいます。

 「陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆえに 乱れそめにし 我ならなくに」

百人一首第14番の河原左大臣(源融)
資料画像(Wikipedia)

「源融」と「光源氏」

「源融」(822年~895年)は、嵯峨天皇の第八皇子として生まれましたが、源の姓を与えられて臣籍(皇族がその身分を離れ姓を与えられ臣下に降りること)となり、左大臣従一位まで出世しますが、結局天皇の子でありながら天皇になれませんでした。紫式部が源氏物語で描いた「光源氏」も同様に天皇になれなかったのです。ただし「光源氏」は臣籍ではあっても「准太上天皇(じゅんだいじょうてんのう)」という天皇に准じた待遇というポジションまで昇りつめます。

また、「源融」は京都の六条河原町の一角に奥州塩釜の風景を模して「六条河原院(ろくじょうかわらいん・現在の渉成園)」という、通常の貴族の邸宅の4倍以上の面積で、庭園や家具調度も豪壮を極めた邸宅を建てましたが、「光源氏」の豪邸「六条院」も「六条河原院」と同じ規模と豪奢さで描かれています。
※現在の南北の通りの名称の河原町通はこの「河原院」の名をとったものです。

京都の嵯峨野の別邸の「栖霞観(せいかかん・現在の清凉寺)」の一隅に、「源融」は「阿弥陀堂」を建てたと云われていますが、源氏物語で「光源氏」は嵯峨野の「栖霞観」のあった場所に「御堂」を建てる様子が描かれています。

紫式部は、まさに「源融」の生きざまをトレースして、「光源氏」という主人公で描き切ったといえるでしょう。


御由緒

当地伊香立の里の南庄は、飛ぶ鳥を落とす勢いのあった「源融」が荘園としていた地で、
現在の「融神社」の地は、「源融」晩年時代の宇多天皇寛平年間(889年~898年)に、伊香立南庄村牟禮の岡山に閑居(別荘)していた旧跡です。その後「源融」がなくなった時、後世の為ということで、鏡一面を神璽(しんじ)として閑居のあった山の上に埋めました。

融神社の前の融川に面して立つ「南庄の郷」の碑
「源融」没後の天慶8年(945年)、伊香立庄の管領の「平群三河公懐昌」がこの神璽を掘り出して、旧跡地に祠を建ててこれを神璽(しんじ)として「源融」をお祀りしたことが「融神社」の創基となっています。

寛和2年(986年)の春、花山法皇が近江巡幸の際に社殿を造営し、「正一位融大明神」と称されることとなりました。

現在の社地は、深い檜の森に覆われています。

融神社参道入口
参道は檜の林の中を進みます
一之鳥居
永延2年(988年)、一条天皇が南庄の水田百町歩を神領とし、このことを契機に歴代天皇の奉幣の例がありましたが、鎌倉時代以後衰微して遂に廃絶しました。

その後は南庄・谷口・家田・三村の郷の産土の神となりましたが、元亀2年(1571年)
織田信長の比叡山延暦寺焼き討ちのとばっちりを受け、社殿その他焼失しました。

天正7年(1579年)、社殿を再興して神璽を奉還しましたが、後世この神領は武家の所領となりました。

寛政8年(1796年)、社殿は再び火災にあい、勅書、神宝等も焼失しましたが、翌寛政9年(1797年)、社殿および末社等が造営され、現在に至っています。

二之鳥居(木製)

拝殿

拝殿では、毎年「源融」の命日の8月25日に舞踏家が「源氏舞」を舞って奉納します。

拝殿

本殿

本殿は、向かって右側が「源融」を御祭神としてお祀りする社で、左側が母君の大原全子」と「大山咋神」を御祭神としてお祀りする社です。

本殿 御祭神「源融」(右側)
本殿 御祭神「大原全子」「大山咋神」(左側)
境内社(摂社・末社)

若宮社
左「愛宕社」右「神明社」
稲荷社
八幡社
出雲社
右から松尾社・稚姫社・春日社・多賀社・諏訪社
※大己貴神社は見つけられませんでした。


子安地蔵

 子安地蔵

その他の社殿他

狛犬
手水舎
社務所
神輿庫
二之鳥居をくぐってすぐの参道右側に、室町時代に勅使が参向した際に詠まれたという句碑があります。天皇の血を引く「源融」と関係のあるこの地、この神を守り続けなさいということを詠んでいます。



大津の伊香立の静かな里に、「源氏物語」の華やかな主人公「光源氏」のモデルとなった「源融」を祀った神社があり、それが全国唯一の神社であるということは地元の誇りでしょう。もう少しPRされもよいのではないかと感じました。滋賀県にとって貴重な観光資源ではないでしょうか。


アクセス
JR湖西線堅田駅下車 江若交通バス生津行他バス乗車南庄バス停で下車徒歩約15分

0 件のコメント:

コメントを投稿