2020年3月15日日曜日

京都山科の「永興寺」は「承陽大師・道元禅師」ゆかりの曹洞宗のお寺です

京都市山科の山科疎水を「山の内橋」で渡ると、山縁に禅宗の曹洞宗の寺院「永興寺(ようこうじ)」があります。曹洞宗は、福井県の永平寺を大本山とする禅宗の宗派で、座禅により自らが悟りを開くことを教えとしています。境内の「山科豊川稲荷社」には、豊川稲荷神社の分霊の「豊川吒枳尼真天(とよかわだきにしんてん)」をお祀りしています。


永興寺(ようこうじ)由緒

寺 号 無量山(むりょうざん)永興寺(ようこうじ) 

宗 旨 曹洞宗

御本尊 釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)

創 建 建長6年(1254年) 道元禅師荼毘地の高台寺北側に永興庵を建立

開 基 道元禅師の弟子 詮慧(せんね)和尚

再 興 寛延元年(1748年)
    面山瑞方(めんざんずいほう)和尚が京都市左京区粟田口に永興庵再建 

再 興 明治38年(1905年)
    村上素道(むらかみそどう)和尚が京都市左京区鹿ケ谷に永興庵再建

再 興 大正8年(1818年)
    村上和尚が永興庵を現在地に移築し、「永平寺別院永興寺」として指定

ご利益 福徳・開運隆盛・興産、生産(秀でた人物・財産を生み出す)

所在地 京都市山科区御陵大岩15

曹洞宗の宗祖「承陽大師・道元禅師」は、誕生の地、修行の地、初開道場、示寂の地などが京都の地に点在しており、生涯の大半を京都で過ごしていました。

道元 資料画像(Wikipedia)
鎌倉時代の建長4年(1252年)、道元は一般の弟子「覚念」の屋敷で示寂(僧の死去)し、京都市東山赤辻(高台寺北側)の地で荼毘に付されました。遺骨は別の弟子が永平寺に持ち帰りました。

建長6年(1254年)道元の弟子「詮慧(せんね)」は、道元が荼毘に付された地に「永興庵(ようこうあん)」を建立し、道元の等身大の木像を安置しました。庵号は、越前の永平寺の永と深草の興聖寺の二寺から二字をとって「永興庵」としました。

その後、新宗派の台頭を善しとしない比叡山延暦寺門徒の焼き討ちに会い、永興庵は京都市内を転々とした後、正中2年(1325年)頃永興庵は廃絶しました。

寛延元年(1748年)、「面山瑞方(めんざんずいほう)和尚」が京都市左京区粟田口に永興庵を再建しました。

明治5年(1872年)、永興寺は廃寺となりました。

明治38年(1905年)、「村上素道(むらかみそどう)和尚」が京都市左京区鹿ケ谷に永興庵(自炊林)を再建しました。

大正5年(1916年)、大本山永平寺が現在地を購入し、村上和尚がこの地を「永平寺別院永興寺」として指定し、鹿ケ谷の自炊林から移築し現在に至ります。

寺宝として、日本一の木魚、道元禅師御一代絵巻、本堂大間天井龍図があります。

山門

山門
本堂
鐘楼
庫裏
山科豊川稲荷社

「山科豊川稲荷社」は、愛知県豊川稲荷社の分霊で「豊川吒枳尼真天(とよかわだきにしんてん)」をお祀りしています。

「吒枳尼」は、もともとはインドのヒンズー教の女神「カーリー」の侍女「ダーキニー」で、人肉を食らう夜叉(鬼神)とされていました。仏教に取り込まれてからは、「ダーキニー」は大日如来が化身した大黒天に調伏され、死者の心臓であれば食べることを許されましたので、人間の死を察知して死者の心臓を食らう夜叉とされていました。なお、「吒枳尼」は集団や種族を指す名でした。

豊川稲荷社では「吒枳尼真天」は善神の女神様で、妙相端麗(美女)で稲穂を担いで宝珠を掲げて白虎にまたがる姿をしています。

この女神様は福徳の神・開運隆盛の神・興産の神、すなわち生産(秀でた人物・財産を生み出す)の神様として、古来より人々に広くあがめられ信仰されてきました。

特に「今川義元」「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」等の戦国の武将は必ず戦勝を祈願しました。

「山科豊川稲荷社」は、「永興庵」の寺内の鹿ケ谷に祀られていた際には、祇園町衆の信仰を集めていました。

平成8年(1996年)本堂を再建しましたが、この時境内西側に「山科豊川稲荷社(吒枳尼真天)」を再建しました。

豊川吒枳尼真天

豊川吒枳尼真天

大国主命(大黒様)



大黒様
大黒様
龍尾の石

龍の尾が海面でうねる様を模した像があります。

龍尾の石
慈母観音

慈母観音

手水舎



参拝順路

京都市営地下鉄東西線の「御陵駅」で下車し、北方の山側を徒歩で約5分進むと「栗原邸」前に乗用車7台が駐車できる永興寺駐車場があります。この駐車場から「山科疎水」に架かる「山の内橋」を渡ると右側に「永興寺」参道が見えてきます。

栗原邸前の永興寺駐車場
このあたり「山科疎水」の両側には、桜の木が繁っていますので、春の桜のシーズンは花見や散歩に絶好となります。

山科疎水に架かる山の内橋
参道の永興寺 石標
承陽大師霊場の石標

「永興寺」に参拝して、「道元禅師」の遺徳を偲びつつ、「豊川吒枳尼真天」のご利益にあやかるというのはいかがでしょう。

アクセス
京都市営地下鉄東西線 御陵駅下車 北方の山側に向かって徒歩約10分


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