大天守 |
令和元年10月10日、空には雲一つなく快晴で10月というのに汗ばむほどの日差しでした。そんな中、「姫路城」前の「大手門駐車場」に車を留めて、いざ大手門に向かいました。駐車場は「姫路城」の東側の「姫山駐車場」や北側の「城の北駐車場」など周辺に数箇所あり料金はほぼ同じですが、大手門に最も近いのは「大手門駐車場」です。ただし
休日は混雑しますので、他の駐車場に留めざるをえないでしょう。
大手門駐車場
所在地 :姫路市本町68番地
営業時間:終日
駐車料金:普通車等は最初の3時間600円、3時間を超えて1日以内900円
休日は混雑しますので、他の駐車場に留めざるをえないでしょう。
大手門駐車場
所在地 :姫路市本町68番地
営業時間:終日
駐車料金:普通車等は最初の3時間600円、3時間を超えて1日以内900円
お掘と大手門 |
大手門 |
大手門を入ると「世界遺産姫路城」と彫られた石碑看板があります。
「姫路城」は、平成5年(1993年)奈良の法隆寺とともに日本で初めて「世界文化遺産」に登録されました。世界文化遺産は、ユネスコの世界遺産委員会で指定されるものです。
いよいよ入城します。
国宝姫路城
開城時間:9時~16時(閉門は17時) 夏季は9時~17時(閉門は18時)
開城時間:9時~16時(閉門は17時) 夏季は9時~17時(閉門は18時)
休城日 :12月29日・30日
入城料 :大人(18歳以上)1000円、子供(小中高生)300円
好古園とのセット料金は、大人(18歳以上)1050円、子供(小中高生)360円
入城口を入るとすぐに「菱の門」をくぐります。「菱の門」は表玄関にふさわしく格式高い櫓門(やぐらもん)です。片側だけ石垣に乗る珍しい安土桃山様式の城門ということです。
菱の門 |
姫路城の概要
白亜の要塞「姫路城」は、外部に現れた全ての表面を白漆喰で仕上げる「白漆喰総塗籠造(しろしっくいそうぬりごめづくり)」という工法が用いられています。消石灰、貝灰、すさ、海藻などを材料とする古代工法で、薄く何度も塗り重ねることで、厚さは3cmにも及び、これにより火災や風雪から城を守っています。
白漆喰で白く輝く大天守の圧倒的な姿は、白い鷺が舞い立つように見えることから別名「白鷺城(しらさぎじょう、はくろじょう)」とも呼ばれています。
「姫路城」は、姫路市の市街地の北側の姫山および鷺山を中心に築かれた平山城で、江戸時代以前に建設された天守が残っており、中堀以内のほとんどの城域が特別史跡に指定され、現存建築物の内「大天守」「小天守」「渡櫓」等8棟が国宝に、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に指定されています。平成5年(1993年)にはユネスコの世界文化遺産に登録されました。
「姫路城」は南北朝時代の天平元年(1346年)に、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての守護大名であった「赤松貞範(あかまつさだのり)」が、砦としての機能を持っていた姫山に本格的な城を築いたのが始まりとされています。
その後、戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、「黒田重隆(くろだしげたか)」や「羽柴秀吉(はしばひでよし・後の豊臣秀吉)」が城代になる頃には、山陽道の交通の要衝である姫路の位置にある姫路城は一層その役割を増し本格的な城郭に拡張され、「関ケ原の戦い」の後に城主となった「池田輝政(いけだてるまさ)」によって現在の大規模な城郭へとさらに拡張されました。
江戸時代には姫路藩の藩庁となり、更に西国の外様大名の監視のために西国探題が設置されました。
「姫路城」は城主となる大名が頻繁に交替しており、江戸時代には池田氏に始まり譜代大名の本多氏、榊原氏、酒井氏など「池田輝政」から明治維新による版籍奉還までの「約270年間に6氏31代」、さらに築城時の赤松氏から数えると「約530年間に13氏48代」が城主を努めています。
西国への睨みを利かせ、また万一の西国からの攻撃にも持ちこたえられるように、城内の随所に創意工夫がこらされています。そして城主が頻繁に交替したことも影響しているのでしょうが、城の修繕にもそれぞれの城主の特色を活かされています。これらも随時ご紹介していきます。
「姫路城」では、姫山やその近隣の寺の墓石や石仏、古墳の石棺などの石造品が石垣や建物の基礎に利用されています。「はの門」では、門の礎石として石灯篭の六角形の基礎が利用されています。
塀のいたるところに三角や四角の狭間が穿たれています。この穴に鉄砲の筒先を差し入れて攻めてくる敵に狙いを定めます。
白亜の要塞「姫路城」は、外部に現れた全ての表面を白漆喰で仕上げる「白漆喰総塗籠造(しろしっくいそうぬりごめづくり)」という工法が用いられています。消石灰、貝灰、すさ、海藻などを材料とする古代工法で、薄く何度も塗り重ねることで、厚さは3cmにも及び、これにより火災や風雪から城を守っています。
白漆喰で白く輝く大天守の圧倒的な姿は、白い鷺が舞い立つように見えることから別名「白鷺城(しらさぎじょう、はくろじょう)」とも呼ばれています。
菱の門から直ぐの三国堀から望む大天守と西・乾小天守 |
「姫路城」は南北朝時代の天平元年(1346年)に、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての守護大名であった「赤松貞範(あかまつさだのり)」が、砦としての機能を持っていた姫山に本格的な城を築いたのが始まりとされています。
その後、戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、「黒田重隆(くろだしげたか)」や「羽柴秀吉(はしばひでよし・後の豊臣秀吉)」が城代になる頃には、山陽道の交通の要衝である姫路の位置にある姫路城は一層その役割を増し本格的な城郭に拡張され、「関ケ原の戦い」の後に城主となった「池田輝政(いけだてるまさ)」によって現在の大規模な城郭へとさらに拡張されました。
江戸時代には姫路藩の藩庁となり、更に西国の外様大名の監視のために西国探題が設置されました。
「姫路城」は城主となる大名が頻繁に交替しており、江戸時代には池田氏に始まり譜代大名の本多氏、榊原氏、酒井氏など「池田輝政」から明治維新による版籍奉還までの「約270年間に6氏31代」、さらに築城時の赤松氏から数えると「約530年間に13氏48代」が城主を努めています。
西国への睨みを利かせ、また万一の西国からの攻撃にも持ちこたえられるように、城内の随所に創意工夫がこらされています。そして城主が頻繁に交替したことも影響しているのでしょうが、城の修繕にもそれぞれの城主の特色を活かされています。これらも随時ご紹介していきます。
いの門 |
ろの門 |
はの門への坂道 塀には狭間 奥には西・乾小天守 |
はの門から西の丸 |
左が六角形の石灯篭の基礎 |
にの門へ向かう通路から西小天守 |
にの門 |
土塀の狭間 |
ほの門 |
「ほの門」を抜けてすぐの石垣の上方に石臼が間詰め石として積まれています。これを「姥ヶ石」と呼んでいます。これは「羽柴秀吉」が「姫路城」を築くとき石集めに苦労していました。城下で餅を焼いて売っていた貧しいお婆さんがそのことを聞き使っていた石臼を寄進しました。「秀吉」は喜んで石臼を石垣に使いました。この評判はすぐに全国に広まり、国中から多くの石が寄進され築城工事は急速に進み立派に完成したということです。・・・というお話ですが、「姥ケ石」が積まれている石垣は、「池田輝政」が築いたものなのでこの話は作り話です。その他「姥ヶ石」には、「お婆さんは孕まない(妊娠しない)」ことにかけて、「石垣が孕まない(膨れない)ように」とのおまじないで積まれているとの説もあるそうです。
「姫路城」のスペック
姥ヶ石 |
所有者
文部科学省(文化庁)
管理団体
姫路市
文化財建造物数
国宝8棟(大天守、東・乾・西小天守、イ・ロ・ハ・ニの渡櫓)
重要文化財74棟(櫓27棟、門15棟、塀32棟)
姫路市
文化財建造物数
国宝8棟(大天守、東・乾・西小天守、イ・ロ・ハ・ニの渡櫓)
重要文化財74棟(櫓27棟、門15棟、塀32棟)
種 類
平山城(平野の中にある山・丘陵地に築かれた城)
縄張り
スパイラル
城地の広さ(内中外曲輪を含めて)
約233ヘクタール(甲子園球場約60個分)
建築様式
総塗り籠め白漆喰仕上げ本瓦葺入母屋造り
天守閣形式
タンデムタワー
大天守と西小天守、乾小天守、東小天守を渡櫓で連結し、出入口一ヶ所の封鎖で頑強な防御機能が発揮できる構造です。
大天守構造
外五層 内六階 地下一階
大天守は望楼型で、屋根の数(層)と階の数が一致しません。外見は五重で内部は石垣の中にある地階を合わせて7階になっています。
大天守の高さ
46.3m(建物31.1m、石垣15.2m)
海抜91.9m
大天守の重さ
5700トン
大天守の東・西大柱の長さ
24.6m
櫓の数
27棟
塀の総延長(内 中 外堀合わせて)
約2.5Km
西の丸櫓群延長
約240m
帯の櫓石垣の高さ(姫路城で一番高い石垣)
23.32m
門の数
21の建物(イエメン7、韓国門6、東門4、埋没門4)
狭間の数
997(鉄砲狭間844、矢狭間153)
井戸の数
11箇所
主な土塀の高さ
ろの門西南方土塀 140.0m
いの門東方土塀 106.2m
太鼓櫓南方土塀 92.3m
狭間の数
997(鉄砲狭間844、矢狭間153)
井戸の数
11箇所
主な土塀の高さ
ろの門西南方土塀 140.0m
いの門東方土塀 106.2m
太鼓櫓南方土塀 92.3m
さて、いよいよ「大天守閣」に登城します。
入口で靴を脱いポリ袋に入れて入り、これを出口まで持っていきます。
「大天守1階」
大天守1階構造図 |
大天守閣1階 板張りはピカピカです |
大きな柱が支えています |
六葉釘隠し |
「大天守2階」
大天守2階構造図 |
破風の間 右側が開閉式 |
武具庫 槍を掛けていました |
「大天守3階」
大天守3階構造図 |
3階部分の東大柱 |
3階の武者隠し廊下から3階 |
「長壁(刑部)神社」は、姫山の地主神で近代になって天守内で祀られるようになりました。江戸時代には「との二門」と「のの三門」の間の小高い場所に鎮座していました。
御祭神は、「姫路長壁大神」、「播磨富姫神」の二神をお祀りしています。
姫路城の守護神で、「火災・災害等」のご利益があります。
長壁(刑部)神社 |
大天守6階から西の丸と姫路市街 |
大天守6階から姫路市街東南方向 |
大天守6階から北側シロトピア方向 |
「武者隠し」は、大天守内の随所に設けられています。敵の侵入に際して隠し部屋に武者を隠して、敵を討ちます。
武者隠し |
高窓(煙出し) |
丸に揚羽蝶(池田氏の家紋) |
西小天守の丸瓦の家紋 |
1階廊下の槍掛け |
大天守の軸組模型 |
姫路城と城下の街並み |
この「西の丸」で徳川二代将軍「秀忠」の娘「千姫(せんひめ)」が過ごしました。この話は次回の投稿でご紹介します。
大天守1階から西の丸 |
本丸庭園から大天守 |
本丸庭園から大天守と西小天守(一部修繕中) |
本丸庭園の樹齢100年の榎(えのき) |
樹齢約100年の榎(えのき) |
備前門と転用された石棺 |
次回「世界遺産「国宝姫路城」は見どころたっぷりな白亜の要塞です その2」では、姫路城にまつわる怪談噺「播州皿屋敷」で有名な「お菊の井戸」や、「千姫」が暮らした「西の丸」などを紹介させていただきます。
アクセス
JR山陽本線・新幹線・山陽電鉄
姫路駅北口から神姫バス乗車「大手門前」バス停下車徒歩5分
JR山陽本線・新幹線・山陽電鉄 姫路駅下車徒歩20分
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