2019年11月14日木曜日

京都吉田山の「宗忠神社」は「黒住教」の神社で「逆立狛犬」が迎えます

京都市左京区の吉田山の南麓の神楽岡にある「宗忠神社」は、岡山市に本部のある神道「黒住教」の教祖「黒住宗忠」を祀る神社です。

一之鳥居

宗忠神社(むねただじんじゃ)御由緒 

御祭神 
上社・神明社:天照大御神(あまてらすおおみかみ)
本社:宗忠大明神(むねただだいみょうじん)(黒住教教祖:黒住宗忠)

御神紋
木瓜紋(もっこうもん)

創 建
文久2年(1862年)

境内社
・忠春社(御祭神:赤木忠春)
・白山社(御祭神:菊理媛尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊)

例 祭
春季例大祭(本殿):4月第4日曜日
秋季例大祭(神明宮):11月3日

所在地
京都市左京区吉田下大路町63

ご利益
開運・眼病平癒など

神社の一之鳥居前の京都市の掲示板を一部引用しますと、「宗忠神社」は神道「黒住教(くろずみきょう)」の教祖、「黒住宗忠(くろずみむねただ)」を祀っています。「宗忠」は江戸時時代の安永9年(1780年)、備前国(現在の岡山県)の今村宮の神主の家に生まれ、近所で評判の孝行息子として知られていました。宗忠は両親を次々と病気で失い、自身も重い病にかかりましたが、文化11年(1814年)の冬至の日、朝日を拝しているうちに神の啓示ともいえる霊感を感じてからは、病は癒え、天命を悟り、神道十三派の一つ「黒住教」という新しい神道の一派を創始しました。

「黒住教」では、日の出を拝む「日拝」を最も大切な祈りとしています。

以後布教を重ね、嘉永3年(1856年)朝廷から「宗忠大明神」の神号を与えられ、文久2年(1862年)に門人の「赤木忠春(あかぎただはる)」がこの地に「宗忠大明神」を勧請し、建立したものです。

拝殿
神明宮本殿
本殿
「宗忠神社」は、幕末の孝明天皇の御代には、朝廷の勅願所となり、皇室はもとより二条家、九条家などの公家からも厚い崇敬を受けました。

その後、明治18年(1885年)、宗忠の生誕の地である岡山市北区に「宗忠大神」を勧請して「大元・宗忠神社」を鎮座しました。

一之鳥居の両脇に、全国でも珍しい備前焼の「逆立狛犬」が迎えてくれます。備前焼の狛犬や、逆立ちの狛犬は全国的にそれぞれ存在しますが、「備前焼で逆立ちの狛犬」は全国でもあまり例がないそうです。

右側の逆立狛犬
左側の逆立狛犬
狛犬が逆立ちしている意味合いは、よく分かっていないそうですが、歓迎の意味を表わしているのではないかとも云われています。

本殿へ向かう正参道の坂道にはきれいな石畳が続き、その両側には緑のトンネルが覆い、紅葉シーズンにはあざやかな紅葉のトンネルが見られることでしょう。

正参道の坂道の緑のトンネル
正参道を上り詰めると二之鳥居がありますが、この鳥居は「宗忠鳥居」と呼ばれる形式をしています。「神明鳥居」の代表的な鳥居で当社が発祥ではありませんが、宗忠神社の名前を冠して「宗忠鳥居」として知られています。

二之鳥居(宗忠鳥居)
「宗春社」は、「宗忠神社」の創建に功績のあった宗忠の門人「赤木宗春」を祀っています。「宗春」は文化13年(1816年)に美作国に生まれ、学問に明るく、優秀な人物でしたが、22歳の時に重い眼病にかかり、ついに失明してしまいました。その後8年間苦悶の日々が続きましたが、親戚の人の勧めで備前で名高かった「黒住忠宗」のもとに行きその講席を一度聞いただけで即座に目が開いたと云われています。この時の感動は以後の京都への「黒住教」の布教活動から、当社「宗忠神社」の建立に至る原動力になったと伝えられています。

「宗春」の眼病が平癒したことから、「眼病平癒」にご利益があるとされています。

宗春社
宗春社
「ご神水井戸」は、「赤木宗春」の発案により掘られた井戸です。井戸職人が30尺掘っても水が出なかったところ、「宗春」が神前に供えたご心酔を井戸に注いで一心に祈った
ところ、あくる朝には井戸から水がわき出たと云われています。以来こんこんとわき続け神楽岡の霊水として珍重されています。

ご神水井戸
「宗忠神社」へは、吉田神社から続く道沿いに裏参道があります。上ると拝殿前に出ます。


もう一か所の裏参道は駐車場への入口となっています。



アクセス
JR京都駅前から京都市バス100系統(急行・錦林車庫行き)乗車 
岡崎道バス停下車 徒歩15分



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