一之鳥居 |
御祭神
本殿は第一殿から第四殿まで社殿が四社あります。
第一殿 健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)(厄除・開運の神)
第二殿 伊波比主命(いはいぬしのみこと)(厄除・開運の神)第三殿 天之子八根命(あめのこやねのみこと)(学問の神・良縁・夫婦和合)
第四殿 比売神(ひめがみ)(良縁・夫婦和合)
御神紋
下り藤(さがりふじ)
創 建
貞観元年(859年)
摂 社
・若宮社
・神楽岡社
末 社
・斎場所大元宮
・神龍社
・今宮社
・祖霊社
・菓祖神社
・山蔭神社
・三社社
・竹中稲荷神社
節分祭
2月上旬前後に室町時代から催されている京洛の一大行事で、例年50万人の参拝者が訪れ、境内には多くの露店と厄除け祈願の参拝者で埋め尽くされます。
例 祭
4月18日
所在地
京都市左京区吉田神楽岡町30番地
本宮のご利益
厄除け・開運・学問上達・良縁・夫婦和合
(摂社・末社のご利益については個別に紹介します)
由緒について、京都市の掲示板、Wikipediaを参照させていただきます。
「吉田神社」は平安初期の貞観元年(859年)、中納言「藤原山蔭(ふじわらやまかげ)」が、古くからの霊場であった「吉田山」のこの地に、奈良の春日大社の四座の神を勧請し創建しました。このため、本宮内には春日大社と同様に四座の神それぞれの社殿が独立して建っています。
「吉田神社」のある吉田山は、古来より「神楽岡(神が集いし岡)」と呼ばれている聖地で、現在でもその山容は「東山三十六峰」の12峰目に数えられています。「吉田神社」の一之鳥居の前には、「京都大学吉田キャンパス」の正門があり、また「吉田神社」の周囲には「京都大学」の多くの施設があります。
「吉田神社」は「延喜式神名帳」への記載されていませんが、永延元年(987年)一条天皇の御代から朝廷の公祭を行うようになり、正暦2年(991年)には※「二十二社」の前身である「十九社奉斎」の一つとなりました。
※二十二社とは神社の社格の一つで、国の重大事や天変地変などの際に天皇から特別の奉斎を受けました。
以降は天皇家の崇敬が厚くなり、特に室町末期の文明年間(1469年~1487年)には、神官の「吉田(卜部)兼倶」が「吉田神道(唯一神道)」を創始してからは、神道界に絶大な権威をもちました。文明16年(1484年)には境内に末社「斎場所大元宮(重要文化財)」を建立し、その後も吉田家は全国の神職の任免権を持つなど明治になるまで神道界の大きな権威をもっていました。「大本宮」には全国の神々が祀られ、ここに参ると全国の神社に参ったのと同じ効験があるとされています。「斎場大元宮」は別の投稿で紹介します。
「吉田神社」の本殿は、慶安年間(1648年~1651年)の建築で、朱塗の春日造です。境内には「大元宮」のほか、地域の水神・雷除けの神としての「神楽岡社」、「吉田兼倶」を祀る「神龍社」、料理の神を祀る「山蔭神社」、お菓子の神を祀る「菓祖神社」など多彩な末社・摂社が多くあります。
摂 社
若宮社
御祭神
天忍雲根命(あめのおしくもねのみこと)
ご利益
水徳の神
由 緒
「天忍雲根命」は本宮第三殿の祭神「天之子八根命」の子で「水徳神」です。初め本宮第二殿と第三殿の間に祭られていたのを、慶安元年(1648年)現地に造営され、明治10年(1877年)「吉田神社」摂社に定められた社です。
神楽岡社
御祭神
大雷神(おおいかづちのかみ)
大山祇神(おおやまづみのかみ)
高龗神(たかおかみのかみ)
ご利益
水を司る神・雷除の神として、「神楽岡町」地主の神
由 緒
鎮座の年代は不詳ですが、「吉田神社」本宮創建の頃には既に鎮座していました。「延喜式」には「高龗神 神楽岡に坐す」と記されています。
その他の見どころ
「君が代」のさざれ石
岐阜県春日村の山中にあったものです。若宮社への参道の階段横にあります。
鹿のブロンズ像
御祭神を奈良の春日大社から勧請したため、鹿のブロンズ像が安置してあるのでしょう。天満宮の牛の像のように、ところどころテカテカに光っています。参拝者が自分の悪いところをさすってから鹿の像の該当するところをさすって、病の平癒を祈っているのでしょう。
表参道の階段
表参道の階段は、途中に桧の大木が生えており大変おもむきのある階段です。
京都大学
「吉田神社」一之鳥居の前に「京都大学」吉田キャンパス正門と、学生運動で有名になった時計台があります。
「吉田神社」は境内も広く、由緒ある末社も多くありますので、次回以降「斎場所大元宮」や「山蔭神社」、「菓祖神社」、「節分祭」などの見どころをご紹介します。
次回「京都の「吉田神社」その2 全国の神々を祀る「斎場所大元宮」など」では、「斎場所大元宮」「山蔭神社」「菓祖神社」を紹介します。
アクセス
京阪電車京阪本線 出町柳駅下車 徒歩20分
京都市バス 「京大正門前」バス停より徒歩5分
貞観元年(859年)
摂 社
・若宮社
・神楽岡社
末 社
・斎場所大元宮
・神龍社
・今宮社
・祖霊社
・菓祖神社
・山蔭神社
・三社社
・竹中稲荷神社
節分祭
2月上旬前後に室町時代から催されている京洛の一大行事で、例年50万人の参拝者が訪れ、境内には多くの露店と厄除け祈願の参拝者で埋め尽くされます。
例 祭
4月18日
所在地
京都市左京区吉田神楽岡町30番地
本宮のご利益
厄除け・開運・学問上達・良縁・夫婦和合
(摂社・末社のご利益については個別に紹介します)
由緒について、京都市の掲示板、Wikipediaを参照させていただきます。
「吉田神社」は平安初期の貞観元年(859年)、中納言「藤原山蔭(ふじわらやまかげ)」が、古くからの霊場であった「吉田山」のこの地に、奈良の春日大社の四座の神を勧請し創建しました。このため、本宮内には春日大社と同様に四座の神それぞれの社殿が独立して建っています。
「吉田神社」のある吉田山は、古来より「神楽岡(神が集いし岡)」と呼ばれている聖地で、現在でもその山容は「東山三十六峰」の12峰目に数えられています。「吉田神社」の一之鳥居の前には、「京都大学吉田キャンパス」の正門があり、また「吉田神社」の周囲には「京都大学」の多くの施設があります。
二之鳥居と手水舎 |
三之鳥居 |
拝殿 |
鳥居の奥が本宮 向かって右から第一殿から第四殿 |
本宮廻りの回廊 |
※二十二社とは神社の社格の一つで、国の重大事や天変地変などの際に天皇から特別の奉斎を受けました。
以降は天皇家の崇敬が厚くなり、特に室町末期の文明年間(1469年~1487年)には、神官の「吉田(卜部)兼倶」が「吉田神道(唯一神道)」を創始してからは、神道界に絶大な権威をもちました。文明16年(1484年)には境内に末社「斎場所大元宮(重要文化財)」を建立し、その後も吉田家は全国の神職の任免権を持つなど明治になるまで神道界の大きな権威をもっていました。「大本宮」には全国の神々が祀られ、ここに参ると全国の神社に参ったのと同じ効験があるとされています。「斎場大元宮」は別の投稿で紹介します。
「吉田神社」の本殿は、慶安年間(1648年~1651年)の建築で、朱塗の春日造です。境内には「大元宮」のほか、地域の水神・雷除けの神としての「神楽岡社」、「吉田兼倶」を祀る「神龍社」、料理の神を祀る「山蔭神社」、お菓子の神を祀る「菓祖神社」など多彩な末社・摂社が多くあります。
神楽殿 |
舞殿 |
社務所 |
若宮社
御祭神
天忍雲根命(あめのおしくもねのみこと)
ご利益
水徳の神
由 緒
「天忍雲根命」は本宮第三殿の祭神「天之子八根命」の子で「水徳神」です。初め本宮第二殿と第三殿の間に祭られていたのを、慶安元年(1648年)現地に造営され、明治10年(1877年)「吉田神社」摂社に定められた社です。
若宮社 参道 |
若宮社拝殿 |
若宮社 |
御祭神
大雷神(おおいかづちのかみ)
大山祇神(おおやまづみのかみ)
高龗神(たかおかみのかみ)
ご利益
水を司る神・雷除の神として、「神楽岡町」地主の神
由 緒
鎮座の年代は不詳ですが、「吉田神社」本宮創建の頃には既に鎮座していました。「延喜式」には「高龗神 神楽岡に坐す」と記されています。
神楽岡社参道 |
神楽岡社 |
その他の見どころ
「君が代」のさざれ石
岐阜県春日村の山中にあったものです。若宮社への参道の階段横にあります。
鹿のブロンズ像
御祭神を奈良の春日大社から勧請したため、鹿のブロンズ像が安置してあるのでしょう。天満宮の牛の像のように、ところどころテカテカに光っています。参拝者が自分の悪いところをさすってから鹿の像の該当するところをさすって、病の平癒を祈っているのでしょう。
表参道の階段
表参道の階段は、途中に桧の大木が生えており大変おもむきのある階段です。
参道階段 |
参道階段 |
「吉田神社」一之鳥居の前に「京都大学」吉田キャンパス正門と、学生運動で有名になった時計台があります。
京大正門と時計台 |
「吉田神社」は境内も広く、由緒ある末社も多くありますので、次回以降「斎場所大元宮」や「山蔭神社」、「菓祖神社」、「節分祭」などの見どころをご紹介します。
次回「京都の「吉田神社」その2 全国の神々を祀る「斎場所大元宮」など」では、「斎場所大元宮」「山蔭神社」「菓祖神社」を紹介します。
アクセス
京阪電車京阪本線 出町柳駅下車 徒歩20分
京都市バス 「京大正門前」バス停より徒歩5分
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