2019年10月31日木曜日

京都河原町の「カトリック河原町教会」のステンドグラスはモダンアートです

「カトリック河原町教会」は、京都市の河原町通三条下ルの東側に面して建っています。日本では歴史あるカトリック教会で、大聖堂を飾るステンドグラスはモダンな感じのアートです。


「カトリック河原町教会」は、カトリック京都司教区(京都・奈良・滋賀・三重を管轄区域とする司教区)の「司教座聖堂(カテドラル)」です。守護聖人は、「フランシスコ・ザビエル」です。

「カトリック河原町教会」を訪れて、日本におけるキリスト教の歴史に触れることができましたが、この中で日本のキリスト教の歴史に京都の地が大きく関係していたということ、そして京都の多くの一般の信者が殉教者として犠牲になっていたということは大きな驚きでした。

所在地:京都市中京区河原町三条上ル下丸屋町423

大聖堂入口階段

カトリック河原町教会の歴史 (河原町教会ホーページ引用・編集)

・将軍「足利義輝」の室町時代後期(戦国時代)の天文19年(1550年)、日本に宣教にやってきた「フランシスコ・ザビエル」らが時の「後奈良天皇」に謁見するために入洛しましたが、謁見は実現しませんでした。

・室町時代後期(戦国時代)永禄3年(1560年)、フランシスコ・ザビエルが日本を離れた後に国内で布教を続けた日本イエズス会子・「ヴィレラ・ロレンソ」が将軍足利義輝から布教の許可を受け、京都の四条に教会を開設しました。

・安土・桃山時代の天正15年(1587年)、キリスト教の宣教師追放令が発布されましたが、布教活動は黙認されながら継続して行われました。

・安土・桃山末期の慶長元年(1596年)、再度「禁教令」が発せられ、京都に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命ぜられました。大坂と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名の合計24名が捕縛され、堀川通り一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされて、市中引き回しになりました。

・翌年の慶長2年(1597年)、捕縛した24名を長崎で処刑せよとの命が発され、京都から歩いて長崎に向かうことになりました。道中に2名の信徒が合流し、計26名が長崎で処刑されました。

・江戸時代の慶長17年(1612年)、全国的にキリシタン禁令が発され、京都近辺の諸教会が破壊されました。

・江戸時代の元和5年(1619年)、鴨川の六条から七条の間、現在の正面橋のあたりで、52名の信徒が火あぶりの殉教を遂げました。そのうち11名は子供でした。

・江戸時代後期の弘化4年(1847年)、フランス東部の小村で主任司祭であったレオン・ロバン神父は日本における壮絶な殉教史を知り「日本の改宗を祈る会」を創設し活動を開始し、その動きはフランス全土に広がる大きな動きとなりました。

・幕末の慶応2年(1866年)、「パリ外国宣教会」が京都に教会を建てたいという願いから、ブロンズの聖母像を作り「都の聖母(Notre Dame de Miyako)」と命名し、京都が見渡せる丘の上に埋めるように託し、ヴィグルー神父の手によって「東山将軍塚」に埋められました。

・明治6年(1873年)、キリシタン禁制が廃止されました。

・明治12年(1879年)、パリの外国宣教会の「ヴィリオン神父」が京都に入り、「都の聖母」を掘り起こしました。「ヴィリオン神父」は京都市内の「高倉二条」に家を借りて、フランス語塾を開講するとともに、その場所を仮聖堂として布教を再開しました。
「ヴィリオン神父」によって掘り起こされた「都の聖母」は、現在は大聖堂の地下の小聖堂に安置されています。

・仮聖堂は、問屋町に移転し、更にその後三条高倉に移転しました。

・明治21年(1888年)、現在の河原町教会の場所に土地と建物を購入し、本格的な教会の建設が始まりました。

・明治23年(1890年)、木造バロック様式の「初代河原町教会」が完成しました。

・昭和26年(1951年)、京都司教区となり、「カトリック河原町教会」「司教座聖堂」となりました。

・昭和42年(1967年)、スイス人司祭「フロイラー神父」の設計で「新聖堂(現在の聖堂)」が建立しました。(旧の聖堂は愛知県犬山市に移築されています)

フランシスコ・ザビエルが日本に来て布教活動を始めて以降、キリスト教は殉教という苦難の道を経て現在にいたっており、その歴史の中で京都の地が重要な役割を果たしているということが分かります。


聖フランシスコ・ザビエル大聖堂

本聖堂は、聖フランシスコ・ザビエルを守護聖人とした京都の司教座聖堂(カテドラル)です。聖フランシスコ・ザビエルは日本での宣教を始めるにあたって都に教会を建てることを熱望しましたが果たせず、その望みは脈々と受け継がれ、その望みは明治23年(1890年)、木造バロック様式の「初代河原町教会」建立によって結実しました。

現在の大聖堂は、東西43m、南北15.4m、屋根の曲線は日本古来の神社様式を取り入れています。


大聖堂内の祭壇、説教台、聖櫃台、後方の司教座、内陣席、床は全て大理石で造られています。司教座の上部に司教紋章、左説教台の前には都の聖母レプリカ像、洗礼盤が配置されています。

会衆者席は、縦20列木製で可動式、440名が着席可能で、立席含めた収容力は550名です。


ステンドグラスは、スイスのハンス・シュトッカー製作で、入口右手から大天使ミカエル、聖フランシスコザビエル像、更に奥へ向かって十字架の道行き14場面他が描かれています。日本列島の輪郭を模して配置しているとのことです。

全体
中央部分
祭壇正面の後陣全面のステンドグラスを使って表現されているのは、天地創造のイメージで、天頂近くに神の子羊が見えます。


なお、司教座の上部にある司教紋章は「パウロ大塚喜直」司教の紋章ということです。





アクセス
阪急電車京都線 京都河原町駅下車 徒歩10分
京都市営地下鉄東西線 京都市役所前駅下車 徒歩5分
京阪電鉄京都線 三条駅下車 徒歩5分


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