2019年8月15日木曜日

「泉福寺」は叡山三千坊のひとつでしたが今は真宗大谷派のお寺です

「泉福寺」は、滋賀県大津市今堅田にあります。開山当時は天台宗のお寺として「七堂伽藍」を備えた大きなお寺だったそうで、「泉福寺」という寺号は天台宗宗祖「伝教大師最澄」によって名付けられたと伝えられているそうです。
「泉福寺」の山門の正面の琵琶湖岸には、木造灯台の「出島灯台」があります。

山門

 「泉福寺(せんぷくじ)」由緒 


寺 号 長等山(ちょうとうざん) 泉福寺

宗 旨 真宗大谷派

御本尊 阿弥陀如来

建立年 年代不詳ですが天台宗宗祖「伝教大師最澄」が建立したと伝えられています。

中 興 観応3年(1352年)

創 建 明導僧都 (「僧都」は僧正の一つ下の階位)

「伝教大師最澄(767年~822年)」が創建されたと伝えられている「泉福寺」は、
創建当時は七堂伽藍を備えた大寺院で、滋賀県の湖西地域では随一の霊場だったそうです。

その後、後光巌天皇は「泉福寺」が桓武天皇をはじめとする多くの位牌をとむらっているのに感じ入り「菩提院」という院号を勅額下賜されたということです。

時は下って観応3年(1352年)、一時退転していた「泉福寺」は「明導僧都」により中興・創建されました。

「明導僧都」はこのとき「覚如上人(真宗代三代実質的な真宗開祖)」に帰依していたとも伝えられますが、「五代目の明空」のときに真宗に転宗したと伝えられています。

「寛正の法難(寛正6年1465年)」の際に堅田に逃れた蓮如上人が、「親鸞聖人の御影(木像)」を守るために奔走したのが「泉福寺の明空」と同じ堅田の「本福寺の明顕」でした。

「泉福寺」は現在、マルシェを主催したり、本堂で「お寺deヨガ」を開催したりと宗旨を越えた活動を展開されています。

本堂
本堂の「長等山」の扁額
境内の「蓮如上人」の像
境内の「親鸞聖人布教」の像
正徳年間(1711年~1716年)、本堂が焼失しましたが、後に再建し290年経った平成18年には老朽化による建て替えを行い、現在に至っています。

鐘楼
鐘楼の梵鐘
恐らく、「仏舎利塔」をイメージしたと思われる建物が境内に建っています。

仏舎利塔?
堅田には、「本福寺」や「光徳寺」など「蓮如上人」の行跡や、「蓮如上人」にまつわる行事が多くあります。「蓮如上人」と堅田の結びつきがいかに大きかったのかがうかがえます。

「蓮如上人御影道中お立ち寄り」を知らせる掲示



 出島の灯台 

「泉福寺」の山門の正面の琵琶湖岸の岬の先端に木造の灯台「出島の灯台」があります。
「出島灯台」は高さ7.8mの黒塗りの木造灯台ですが、この灯台には琵琶湖の悲しい歴史がありました。

出島の灯台
大津の「堅田」は古来より湖上運送と漁業の一大拠点で、堅田港は現在も琵琶湖の漁の拠点となっており、堅田に自治組織を築いた「堅田湖族」の郷です。

琵琶湖のこの付近は湖の再狭部で、岩礁も多く、明治8年(1875年)に客船「満芽丸」の転覆で乗客47人が亡くなる水難事故が発生しました。これを受けて近くの船会社により「出島灯台」が建てられました。以来大正7年(1918年)に光源が灯油からは電灯に変わるまで、出島付近の9戸の家が当番を決めて灯台の灯を灯し続けていました。
昭和26年(1951年)、「出島灯台」はその役割を終えましたが、今もモニュメントとして琵琶湖を見守り続けており、平成元年(1989年)からは点灯が再開されています。







堅田港
アクセス
JR湖西線 堅田駅下車 徒歩約20分

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