2019年5月22日水曜日

安藤広重は近江八景の一つ「堅田の落雁」で「浮御堂」を描きました

大津の海門山満月寺「浮御堂(うきみどう)」は滋賀県大津市堅田の琵琶後岸にあります。

「浮御堂」は端正で質素な姿をびわ湖の湖面に浮かべ佇んでいました。
その端正な姿の後ろには、びわ湖大橋や対岸の商業施設「ピエリ守山」が見えます。

浮御堂

 安藤広重の近江八景「堅田の落雁」 

満月寺浮御堂は、大津市本堅田の臨済宗大徳寺派海門山満月寺の境内にあります。湖上に突き出た仏堂です。安藤広重の近江八景の一つ「堅田の落雁」で名高く、堅田の浮御堂の通称でも知られています。カーナビで滋賀県に入ると画面にあらわれるのが「浮御堂」です。

近江八景「堅田の落雁」


 寺門

「浮御堂」の石碑

 寺伝 

寺伝によれば、長徳年間(995年頃)比叡山横川恵心院に住んでいた源信(恵心)僧都が比叡山の山上からびわ湖を眺めていると、毎夜その光明の光り輝くさまを怪しみ、網でそれを掬い取らせたところ、一寸八分(約3.3cm)の黄金の阿弥陀仏像でした。源信はこれに感じて魚類殺生供養のために阿弥陀仏像一体を造り、その体内にこれを収め、さらに千体の阿弥陀仏像をも泰安(尊いものを安置してたてまつること)し、浮御堂を創建したということです。

浮御堂は「千仏閣」「千体仏堂」と称し、源信は衆生済度とともに、湖上通運の安全も発願しました。

源信は平安時代中期の天台宗の僧で、恵心僧都(えしんそうず)と尊敬されています。天台宗では七高僧の第六祖とされ、源信和尚、源信大師と尊称されています。「往生要集」は源信が著しました。

堅田の地は建武の萌り元亀天正に至る間に度々戦場となり、満月寺も荒廃しましたが、江戸時代に大徳寺の住持宗般等によって復興されました。
江戸時代から昭和9年までの浮御堂は桜町天皇の御代(1740年頃)に禁中の能舞台の下賜を仰いで建立したものです。この御堂は昭和9年の室戸台風によって倒壊しましたので、現在の堂は昭和12年に再建されたものです。


浮御堂の松




架け橋より浮御堂

堂内には「阿弥陀仏一千体」を安置して、「千体仏」と称しています。「多数功徳作善信仰」という平安時代の信仰で、一体よりも二体、二体よりも三体と数多く仏像を造ることに功徳があるとする当時の信仰を今に伝えています。

阿弥陀仏像と千体仏


                   千体仏

境内の観音堂の聖観音座像は、重要文化財で平安時代の約900年前の尊像です。
観音堂には、聖観音座像のほか、薬師如来像、十一面観音像が安置されています。



観音堂

観音堂入口

中央が聖観音座像(非開扉)右側が薬師如来坐像、左側が十一面観音像

聖観音座像は国重要文化財に指定され、観音堂も登録文化財に指定されています。


 

浮御堂は湖中に突き出しているため、伊吹山や近江富士の三上山、沖ノ島、比良連峰、比叡山を見渡せる絶景の地にあります。境内の老松も雰囲気を醸し出しており、また堅田は古くから湖上交通の要衝で、一休和尚や蓮如上人も訪れ、芭蕉、一茶、広重、北斎等も訪れて、多くの詩歌、絵画を残しています。

芭蕉の句碑 「鎖(じょう)あけて 月さし入れよ 浮御堂」

青畝の句碑「五月雨の 雨だればかり 浮御堂」

茶室玉鈎亭(ぎょくこうてい)は、浮御堂の古材を用いて建てられました。

茶室玉鈎亭(登録文化財)

浮御堂から岸辺を見ると郷土料理の「魚清楼」が見えます。絶景のロケーションですね。



魚清楼

浮御堂を望む街並み 右手には古くからある湖魚の佃煮の店があります。

拝観時間 8時~17時
拝観料  大人300円

アクセス
JR湖西線 堅田駅下車 町内循環バス 出町下車 徒歩5分



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