関蝉丸神社は、「これやこの 行くも帰るも分かれてや 知るも知らぬもあう坂の関」で有名な、百人一首に登場する「蝉丸(せみまる)」ゆかりの神社です。
関蝉丸神社は京阪電車の踏切線路をまたいで参拝します |
関蝉丸神社 鳥居から拝殿 |
関蝉丸神社 由緒書 抜粋 (引用:関蝉丸神社ホームページ)
御祭神
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
例 祭
5月24日(蝉丸霊が亡くなられた日)
現在は5月24日に一番近い日曜日に行われています。
関蝉丸神社は、歌舞音曲・芸能の祖神として崇められ、盲目だった蝉丸が開眼する逸話にちなみ、眼病に霊験あらたかで、かもじ(髪の毛)の祖神ともいわれています。蝉丸の人物像は不詳ですが、醍醐天皇の第四皇子、あるいは宇多天皇の皇子・敦実親王の雑色(職位の一つ、天皇の秘書役)などとも伝えられ、琵琶の名器・無明を愛用していたと伝えられています。
・・・眼病・髪の毛にご利益があります。
祭神「豊玉姫命」は、福を招き出世を約束する女神で、縁結び、安産、子孫繁栄の神として敬われています。なお、海神の娘である豊玉姫命は水霊信仰とも深く関係しています。
・・・縁結び・安産・子孫繁栄にご利益があります。
この神社の創紀は、嵯峨天皇の弘仁13年(822年)と伝えられています。小野岑守(平安時代の公卿)が旅人の守護神である猿田彦命を山上の上社に、豊玉姫命を麓の下社にお祀りしたのが始まりとされています。背後に鎮座する逢坂山は京都と滋賀の境にあり、琵琶湖と京都・畿内を結ぶ交通の要衝として栄えていました。この立地から、この神社は、国境神・坂神・手向神(道祖神)、さらに逢坂の関の守護神としても崇敬されていました。
音曲芸能祖神の標石 |
狛犬 |
手水舎(普段は閉栓されています) |
拝殿
神楽殿では、毎年例祭の日に「蝉丸芸能祭」が開催されています。舞踊、邦楽、洋楽、郷土芸能など出演者を広く募集して、神楽殿を舞台に芸能祭が開催されています。知事や市長を招くなど大々的に開催されています。
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内幣殿(台風で屋根が壊れています) |
本殿 |
奉納額 |
拝殿回廊 |
天保年間のおみくじ札 |
・・・音曲・芸道にご利益があります。
江戸時代にし諸国の説教者(雑芸人)を統括し、免許を受ける人々が全国的規模で増加しました。宮地での芸能興行を関蝉丸神社が掌握していたといわれています。
蝉丸に関する様々な伝承は「平家物語」などの様々な文献に登場します。
百人一首の「これやこの 行くも帰るも分かれてや 知るも知らぬもあう坂の関」の一首は、元の句は「これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬもあう坂の関」となっています。これは、逢坂山に隠棲してしていた蝉丸が逢坂の関を行きかう人々を眺めて、「東国へ下る人も、都へ上る人も、ここで別れてはまた会い、知っている人も知らない人も、またここで出会う逢坂の関なんだな」という思いを詠んだ句といわれています。仏教の教え「会者定離」(えしゃじょうり)の「会えば必ず別れがあり、分かれてはまた出会いがある。」というような無常感をあらわしているといわれています。
句碑(これやこの・・・) |
せみまるくん |
関蝉丸芸能祭の様子 |
謡曲「蝉丸」と関蝉丸神社の由緒書 |
摂社 貴船神社 |
重要文化財「時雨灯籠」
この石灯籠は、鎌倉時代の特色のある灯籠で重要文化財に指定されています。
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関清水神社 |
逢坂の関は、古来より交通の要衝でした。現在も当地はJR琵琶湖線、京阪電車、名神高速道路、国道1号線、国道161号線が入り組んで交差します。
京阪電車「蝉丸神社」踏切 |
鳥居と線路 |
鳥居と踏切を通過する京阪電車
JR琵琶湖線のトンネル上を京阪電車が走り、写真奥が関蝉丸神社
関蝉丸神社は、琵琶の名手蝉丸を祀る神社で、ちはやふる 蝉丸法師の句碑もあります。踏切の線路をまたいでお参りするという珍しい神社でもあります。是非訪れてみてはいかがでしょうか。
アクセス
JR琵琶湖線 大津駅より東へ徒歩10分
京阪京津線上栄町駅より徒歩5分
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