八坂神社を東山へ向かい少し進むと「円山公園」があります。この公園は東山を背に約73,000㎡の回遊式日本庭園を中心に、料亭や茶店が散在し、四季を通じて市民の憩いの場になっています。また京都随一の桜の名所と云われており、桜のシーズンには、昼も夜も花見客でいっぱいになります。円山公園の中央にある「しだれ桜」は一度は弱りましたが、京都の桜守りの手で見事に蘇りました。
円山公園のしだれ桜
八坂神社
八坂神社(やさかじんじゃ) 御由緒
御祭神
・中御座:素戔嗚尊 (すさのおのみこと)
・東御座:櫛稲田姫命 (くしいなだひめのみこと)(素戔嗚尊の后)
御同座:神大市比売命(かむおおいちひめのみこと)、佐美良比売命(さみらひめのみこと)
(いずれも素戔嗚尊の后)
・西御座:八柱御子神 (やはしらのみこがみ)[素戔嗚尊の8人の御子の合祀]
八島篠見神(しやまじぬみのかみ)
五十猛神(いたけるのかみ)
大屋比売神(おおやひめのかみ)
抓津比売神(つまつひめのかみ)
大年神(おおとしのかみ)
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
大屋毘古神(おおやびこのかみ)
須勢理毘売命(すせりびひめのみこと)
・傍御座:稲田宮主須賀之八耳神(いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ)
明治以前の御祭神
・西の座:頗梨采女 (はりさいにょ・ばりうねめ)
「牛頭天王」は起源不詳の習合神で祇園精舎を守護するとされ、日本では「素戔嗚尊と」同神とされていました。頗梨采女は牛頭天王の后神であることから素戔嗚の后である櫛稲田姫命と同一視されました。
摂社・末社
境内には、三社の摂社と、十二社の末社があります。
全てお参りするには2~3時間かかります。
・四条御旅所 (四条京極南側)
・傍御座:稲田宮主須賀之八耳神(いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ)
明治以前の御祭神
明治時代の神仏判然令以前は、主祭神は以下の3柱でした。
・中の座:牛頭天王 (ごずてんのう)
・東の座:八王子 (はちおうじ)・西の座:頗梨采女 (はりさいにょ・ばりうねめ)
「牛頭天王」は起源不詳の習合神で祇園精舎を守護するとされ、日本では「素戔嗚尊と」同神とされていました。頗梨采女は牛頭天王の后神であることから素戔嗚の后である櫛稲田姫命と同一視されました。
摂社・末社
境内には、三社の摂社と、十二社の末社があります。
全てお参りするには2~3時間かかります。
御旅所(境外社)
市内三か所に御旅所があります。・四条御旅所 (四条京極南側)
・三条御供社 (又旅社、三条通黒門)
・大政所御旅所旧跡 (烏丸通仏光寺下ル)
それぞれ祇園祭の際には、各役割を担っています。
御神紋
「五瓜に唐花(ごかにからはな)」と「左三つ巴(ひだりみっつともえ)」
例祭日
例大祭 6月15日
祇園祭 7月1日~31日
ご利益
疫病除け、厄除け、縁結び、美容と芸能・財福 などなど
八坂神社は、正月三が日の初詣の参拝者数は近年では約100万人と京都府下では伏見稲荷大社に次ぐ2位となっています。また東西南北四方から人の出入りが可能なため、楼門が閉じられることはなく伏見稲荷大社と同じように夜間でも参拝することが出来ます。(防犯のため、監視カメラ設置しており、夜間でも有人の警備は行われています)
八坂神社は、慶応4年(1868年)の神衹官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していました。
創祀については諸説ありますが、斉明天皇2年(656年)に高句麗より渡来した使節の「伊利之(いりし)」が新羅国の「牛頭山」に座した「素戔嗚尊」を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まると伝えられています。
また、一説には貞観18年(876年)南都の僧円如が建立し、堂に薬師千手等の像を奉安、その年に天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に垂跡したことに始まるとも云います。
江戸時代には徳川家も八坂神社を篤く信仰し、家康は社領を寄進、家綱は現存する社殿を造営、数多くの神宝類も寄進しました。
祇園祭
古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869年)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります。
祇園祭は、7月1日の「吉符入」にはじまり、31日の境内摂社「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事がくり広げられます。
八坂神社の西の楼門から四条通りを眺めます
この日は、天気も良くポカポカ陽気のせいもあったのでしょうか。京都の繁華街は観光客であふれていました。元気で活気があって良いですね。
アクセス
京阪電車京都線 祇園四条駅下車 徒歩10分
それぞれ祇園祭の際には、各役割を担っています。
御神紋
「五瓜に唐花(ごかにからはな)」と「左三つ巴(ひだりみっつともえ)」
五瓜に唐花
左三つ巴
例祭日
例大祭 6月15日
祇園祭 7月1日~31日
ご利益
疫病除け、厄除け、縁結び、美容と芸能・財福 などなど
八坂神社は、正月三が日の初詣の参拝者数は近年では約100万人と京都府下では伏見稲荷大社に次ぐ2位となっています。また東西南北四方から人の出入りが可能なため、楼門が閉じられることはなく伏見稲荷大社と同じように夜間でも参拝することが出来ます。(防犯のため、監視カメラ設置しており、夜間でも有人の警備は行われています)
八坂神社は、慶応4年(1868年)の神衹官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していました。
創祀については諸説ありますが、斉明天皇2年(656年)に高句麗より渡来した使節の「伊利之(いりし)」が新羅国の「牛頭山」に座した「素戔嗚尊」を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まると伝えられています。
また、一説には貞観18年(876年)南都の僧円如が建立し、堂に薬師千手等の像を奉安、その年に天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に垂跡したことに始まるとも云います。
江戸時代には徳川家も八坂神社を篤く信仰し、家康は社領を寄進、家綱は現存する社殿を造営、数多くの神宝類も寄進しました。
祇園祭
古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869年)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります。
祇園祭は、7月1日の「吉符入」にはじまり、31日の境内摂社「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事がくり広げられます。
(参考写真)祇園祭山鉾巡幸
おけら参り
八坂神社では、大晦日(12月31日)から元日の朝にかけて神前に供えた削掛(けずりかけ 木の削り欠片)と薬草の「おけら」を焚いて邪気を払い、参拝者はこの白朮火(おけらび)を吉兆縄に移して自宅に持ち帰り、元日の雑煮を焚いたり、神棚や仏壇の灯明を灯したりする風習があります。白朮火の点いた吉兆縄が消えないように縄を振り回しながら持ち帰ります。
八坂神社境内
四条通りに面した西楼門
手水舎
舞殿
本殿
本殿
南楼門
摂社・末社
太田神社・白髭神社(摂社)
太田神社・白髭神社(摂社)
大国主社(末社)
大国主社は、「縁結びの神」として知られ、多くの参拝者がお参りしています。
大国主社
刃物神社(末社)
京都は、刀剣を始め多くの刃物工芸の名工を輩出しています。
刃物神社は、昭和48年(1973年)に刃物神社建設委員会によって建立されました。
祀られているのは、刃物大神です。
刃物神社
露店とお化け屋敷
境内には観光客と花見客目当てに多くの露店が出ています。露店の定番「焼きそば」「イカ焼き」から「シシカバブー」「神戸牛の串焼き」まで様々です。
また、西の楼門から入って左手すぐには「お化け屋敷」があります。昔ながらの小屋掛けに「ろくろ首」などの昔ながらの出し物で、外国人観光客には受けているようです。
露店
露店
お化け屋敷
八坂神社の西の楼門から四条通りを眺めます
この日は、天気も良くポカポカ陽気のせいもあったのでしょうか。京都の繁華街は観光客であふれていました。元気で活気があって良いですね。
八坂神社から四条通り
アクセス
京阪電車京都線 祇園四条駅下車 徒歩10分
阪急電車京都線 四条河原町駅下車 徒歩12分
円山公園
円山公園(まるやまこうえん)は、京都府京都市東山区にある公園です。国の名勝に指定されています。園域は約73,000㎡で八坂神社、知恩院に隣接しています。「祇園枝垂桜」に代表される桜の名所でもあります。
アクセス
京阪電車京都線 祇園四条駅下車 徒歩12分
昭和21年(1927年)に開堂した円山公園音楽堂は約3,000人を収容可能な屋外ホールとして利用されている。料亭や茶店、旧自由党員・今幡西衛らの尽力によって建てられた坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像などもあります。雙林寺、西行庵(さいぎょうあん)、芭蕉庵、などの旧跡も多くあります。
円山公園のしだれ桜は「一重白彼岸枝垂桜」(ひとえしろひがんしだれざくら)という品種で、初代の枝垂桜は昭和22年(1947年)に枯死したため、現在は2代目が植えられています。花見のシーズンにはライトアップが行われ、深夜でも花見客の姿が見られる。
公園内には、有名な京の名物料理の店「いもぼう」など食事処・甘味処があります。
しだれ桜
しだれ桜
しだれ桜
円山公園入口
円山公園の桜
円山公園の花見の場所取り
アクセス
京阪電車京都線 祇園四条駅下車 徒歩12分
阪急電車京都線 四条河原町駅下車 徒歩15分
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