大福寺は、聖徳太子が開山・開基したとされ、本尊菩提薬師如来像は聖徳太子の自刻です。大福帳の名前の由来にもなった由緒のある寺院です。
聖徳太子 |
大福寺の御朱印は、バラエティ豊富で大変人気があります。
大福寺 |
中央が菩提薬師如来 |
正式名 瑠璃光山利生院大福寺
宗 旨 天台宗
推古天皇の時代(593年~628年)に大和国宮田郷に建立されましたが、平安時代の初めに勅旨により京都に移され七堂伽藍を有しました。
本尊の菩提薬師如来(ほていやくしにょらい)は聖徳太子の自刻で、京都十二薬師の一つです。
朝家(皇室)からの尊信が極めて篤かったのですが、天明の大火(1788年)で炎上・焼失し、現在ではわずかにその面影をとどめるばかりです。
幕末には勤王の志士である梅田雲浜が仮住まいをして、妻を迎えています。雲浜は若狭(現在の福井県小浜市)出身で、尊王攘夷の志を抱き、京都に出て同志と交え国事に奔走しましたが、安政の大獄で、吉田松陰、橋本佐内、頼三樹三郎らと共に捕らえられました。
「大福」という縁起のよい寺号により、正月には商売繁盛を祈願して、商家の出納帳に寺の「宝印」を授与する習わしがあり、これが「大福帳」の由来となっています。
安産腹帯地蔵尊と京都七福神の布袋尊も祀り、現在もひろく信仰を集めています。
【ご利益】 商売繁盛、安産
由緒書 |
[推古天皇]
飛鳥時代の第33代天皇、初代女帝、在位(593年~628年)
聖徳太子を摂政に任命しました。
[七堂伽藍]
寺として備えるべき、寺宇(堂の建物)で、塔・金堂・講堂・鐘楼・経蔵・僧房・食堂(じきどう)をいいますが、宗派によって種類が異なります。
[京都十二薬師]
京都では平安時代より、薬師詣りが盛んで、特に信仰を集めた十二ケ寺のお薬師さまに無病息災・病気平癒・厄難消除・所願成就などの願をかけて順にまわる風習がありました。
第一番 平等寺、第二番 東寺、第三番 水薬師寺、第四番 壬生寺、第五番 地福寺、第六番 福勝寺、第七番 雙林寺、第八番 大超寺、第九番 薬師院、第十番 大福寺
第十一番 西光寺、第十二番 永福寺
[天明の大火]
天明8年(1788年)正月30日に起きた京都の歴史上最大の大火で、鴨川の東の団栗の辻の民家から出火して、火は東からの強い風に吹かれて、鴨川を超えて西へ広がり、北や南へも広がり、2月2日の朝にようやく鎮火しました。
被害範囲は、北は鞍馬口通、南は七条通、東は鴨川の東、西は千本通まで焼失し、京都のほぼ全域が焼け野原になりました。
3万7000軒、6万5000世帯が焼け出され、御所や二条城、東西本願寺も焼けてしまいました。
[京都七福神]
京都市内の七福神を祀る七つの寺で構成された札所を参拝して、各寺で授与される御宝印を集めて、祈願する風習ですが、京都でも七福神巡りはいろいろなグループがあります。
大福寺は、京都七福神のグループにあります。
遺迎院、出町妙音堂、蘆山寺、護浄院、行願寺、大福寺、松ヶ崎大黒天
御朱印は、土日曜日の9時~12時と13時~15時の間と、平日は特定日の特定時間帯にいただけます。詳しくは大福寺さんのツイッターでご確認ください。
大福帳verや丁稚さんverなどあるそうですので、御朱印マニアの方にはお勧めです。
アクセス
京都地下鉄市役所前駅下車 麩屋町通りを北へ徒歩8分
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