長安寺は、時宗のお寺です。小野小町の供養塔や重要文化財の牛塔があります。時宗は、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派です。総本山は、神奈川県藤沢市の清浄光寺(遊行寺)です。開祖は一遍上人です。
長安寺への階段 |
長安寺前の京阪電車踏切 |
長安寺標柱 |
本堂へ続く階段 |
長安寺本堂 |
「長安寺」は、現在は存在しない「関寺(せきでら)」の跡地に建てられた、「時宗」の寺院です。
現在の本堂は、明治初期に長安寺の本寺にあたる京都の「歓喜光寺」が「法国寺」と合併したときに、歓喜光寺の本堂であった建物を当地に移転したものです。それ以前の本堂は、現在書院として使用されている建物でした。
御本尊は、「阿弥陀仏立像」です。
関寺は天台寺門派の寺院でしたが、創建年次は不詳で、元禄元年(970年)の源為憲が著した「口遊」に日本三大仏の一つとして、「関寺の弥勒仏」が紹介されているようです。関寺の弥勒仏は金色で五丈(約15m)もある大きな仏像であったとされています。
関寺は、古くから有名な寺院でしたが、天延4年(976年)の大地震で倒壊し、弥勒仏も損壊したと伝えられています。
後に天台宗の高僧の「恵心僧都源信」が弟子の延鏡に命じて、再興させましたが、慶長年間の兵火で焼失し、後進として、長安寺が再興されました。
牛塔
「牛塔」は、高さ3.3m、で角形の基礎石に巨大なつぼ型の塔身を置き、笠石を付けたもので、鎌倉時代初期に造られた、日本を代表する石造宝塔です。
牛塔 |
そして万寿2年(1025年)霊牛は、関寺の工事が終わるとともに死にました。その霊牛を供養し祀ったのが牛塔であるといわれています。
小野小町供養塔
平安時代の歌人で、絶世の美女とされた「小野小町」は、出生地から没地まで謎の多い人物ですが、「謡曲 関寺小町」には老女となって逢坂の関の近くの庵で住む、小野小町を描いています。
或る年の7月7日、関寺の僧が稚児を連れて山かげに住む老女の許へ歌物語を聞きに訪ねました。老女は僧に請われるままに歌物を始めました。その言葉の端から小野小町であることがわかりました。
小町は、わが詠歌を引いて昔の栄華を偲び、今の落胆を嘆きました。寺の七夕祭に案内された小町は、稚児の舞に引かれて我を忘れて舞いました。
小野小町供養塔 |
一遍上人供養塔
一遍上人が全国遊行の際に関寺に留錫(りゅうしゃく)したとされています
|
0 件のコメント:
コメントを投稿