2019年5月23日木曜日

京都の高松神明神社は真田幸村の知恵を授かり開運厄除けの御利益

京都の「高松神明神社(たかまつしんめいじんじゃ)」は、京都市中京区の新町御池を一本南へ下がり、姉小路通りを西へ入ったところにあって、白い鳥居が特徴的です。

高松神明神社がある一帯には、第60代醍醐天皇の皇子で西宮左大臣であった源高明(みなもとのたかあきら)の邸宅の高松殿(たかまつでん)が建てられていました。後に後白河天皇(ごしらかわてんのう)は当地で即位し、約2年間内裏(天皇の私的居住エリア)として使用していたため、高松内裏とも呼ばれていました。

高松神明神社の白い鳥居

 高松神明神社(通称 神明さん) 由緒 

御祭神

天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
誉田別命(ほむだわけのみこと)

例祭日

10月17日~18日(例大祭)

摂 社

八幡神社
春日神社

御利益
開運・厄除け、真田幸村の知恵を授かります。

高松神明神社は記録によると「高松殿の旧跡にて、御鎮守の御社なり」と記されています。
平安初期、醍醐天皇の第10皇子で西宮左大臣と呼ばれた源高明(914年~982年)は、延喜20年(920年)7歳のときに源朝臣(あそん)の姓を受け、合わせて当地左京三条三坊に邸宅として「高松殿」を造営しました。「高松殿」邸宅のことは、中世の書物「拾芥抄」に「姉小路北西洞院東高明親王家」と記されています。
 ※源高明は「源氏物語」の光源氏のモデルの一人と考えられています。

高松神明神社は、高松殿建造の際に伊勢神宮から天照大神を勧請して、鎮守の社として祀ったのが始めとされています。

高松神明神社は創建1100年の歴史ある神社です。

高明の娘、源明子は高松殿に住んで「高松殿」と称され、後に藤原道長と結婚しました。その後、高松殿は三條天皇(976年~1017年)の皇子小一条院の御所となりましたが、文献では治安元年(1021年)と、更に100年後の保安元年(1120年)に焼亡したとされています。

院政期の久安2年(1146年)には、鳥羽上皇の命により新造され、造営には、後に大蔵卿となった長門守源師行(みなもとのもろゆき)が当たっています。久寿2年(1155年)には、後白河天皇が高松殿で即位し、保元2年(1157年)まで内裏となり、「高松内裏」とも称されました。

保元の乱(1156年)の際には、崇徳天皇方の白河北殿に対して、後白河天皇の本拠地となり、源義朝や平清盛らの軍勢がここに参集して、白河の地へ攻め込んだことはあまりにも有名です。

その後、平治の乱(1159年)に高松殿は焼失しましたが、邸内に祀られていた鎮守社高松明神は、現在も「高松神明神社」として残っています。

鳥居が何故白いのかは残念ながら不明でした。

 鳥居(この鳥居も白い鳥居です)と拝殿

 本殿

「此附近 高松殿址」の石碑 一の鳥居の脇にあります


 神明地蔵尊の縁起 

神社の境内にお地蔵さんをお祀りすることはめったにありませんが、「神明地蔵尊」はその例外で、大変珍しいとされています。

永禄年間、高松神明神社は「高松神明宮宝性院」と称し、神官は不在でした。永禄8年
(1565年)に最初の社僧、宥玉法印(伝燈法師位法印大僧都宥玉)は京都の山の内(現在の京都市右京区)から、当社にお入りになり、その後約300年間明治元年の「神仏分離令」まで、社僧がお祀りしていました。

「神明地蔵尊」は、寛政6年(1794年)、「高松神明宮宝性院」(真言宗東寺宝菩提院の末寺に属していました)の社僧が、紀州九度山の「真田庵」(高野山真言宗伽羅陀山善名称院)に毘沙門天とともに安置されていた二体の地蔵尊のうちの一体を拝領して、同年6月に神殿の東側に三間四面の地蔵堂を建てました。

智将で知られる真田幸村の念持仏でしたので、「幸村の知恵の地蔵尊」としてお祀りしました。大変美しいお姿の半跏座像のありがたいお地蔵さんは、多くの参詣者から信仰されました。

約50年後の天保11年(1840年)東西二間南北三間半、切妻破風の屋根の地蔵尊に建て替えられました。元治元年(1864年)7月、「蛤御門の変」により「高松神明宮宝性院」も罹災しました。境内の稲荷神社、不動明王、弘法大師、金毘羅神社等と一緒に地蔵堂も焼失しましたが「神明地蔵尊」のみが無事でした。

明治になり、「神仏混淆」が禁止され、宝性院は廃寺となり、高松神明神社だけが残りました。排仏の憂き目にあわなかった「神明地蔵尊」は、社務所内でお祀りしていましたが、明治26年(1893年)本殿の西側の現在地に地蔵堂を建てて、お祀りしています。

地蔵堂正面の台石をさすって、子供の頭をなでると、智将幸村にあやかり、知恵を授かる御利益があります。

 地蔵堂(お堂の台石をさすって子供の頭をなでてください)

 真田幸村公の念持仏「神明地蔵」 

剃髪した衣姿の僧形地蔵で、右手に錫杖、左手に如意宝珠を持って、六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人間道、天道)といわれる輪廻の苦しみの世界を廻って、人々を救済されるといわれています。

半跏座像のありがたいお地蔵さん

一の鳥居脇の看板

 水琴窟(水琴窟) 

神社創建1100年記念事業の一環として、平成26年に手水の水を利用して「水琴窟」
が設置されています。手水の水を柄杓ですくって、水盤手前の玉砂利に流しますと、きれいな高音が響きます。

手水と水琴窟



社務所


「区民の誇りの木オガタマノキ」

境内の三の鳥居脇に京都市中京区の「区民の誇りの木 オガタマノキ」がそびえています。

鳥居左側の木がオガタマノキ



姉小路通りと「高松神明神社」

アクセス
京都市バス 新町御池バス停下車 徒歩2分
京都市営地下鉄烏丸線 烏丸御池駅下車 徒歩5分


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